気楽な独り言

(有)山野工務店を経営。 国産材を使い、職人の手作りにこだわった家造りをしています。 新築住宅やリフォームなどの事例をご紹介します。 また時々好きな旅行の記事や日々の出来事なども投稿していきます。

ミラクルをもう一度:センバツ・宇部商 第1部/6止 夏のリベンジ /山口

◇亡き友に活躍誓う
 「篤志、約束は果たしたぞ」――。センバツ出場を決めた先月26日、主将、国本鐘悟(2年)は不慮の事故で亡くなった宇部商応援団員、松岡篤志(当時16歳)に心の中で呼びかけた。試合のたびに元気あふれるエールが球場にこだました。あの声が聞けなくなって半年。ナインは「篤志に恥じないプレーをするだけ」と夢舞台での活躍を誓う。
 「もう一度、甲子園で応援すると一生懸命練習していた」。遺影を見つめながら篤志の母、知治(ちはる)(45)は話す。サッカー部で活躍する傍ら応援団にも所属。1年生だった05年夏、甲子園で声を張り上げベスト4進出を支えた。クラスメートだった白川原俊介(2年)は「明るくて面白いやつだった。教室ではいつも笑顔だった」と振り返る。
 昨年7月26日。山口市で思わぬ水難事故に遭い、帰らぬ人となった。葬儀の帰路の途中、部員の1人がささやいた。「試合に勝ってたら、あいつは死なずに済んだのでは」。県大会で勝ち進んでいれば26日は準々決勝で多々良学園(現・高川学園)と対戦していた。
 約1週間前の早鞆戦で、中盤まで3点差で優位な試合運びだったが、最終回に追いつかれ、延長でサヨナラ負けを喫していた。「核となる投手の不在というアキレス腱(けん)が大事な場面で露呈した」と監督、中富力(41)は敗因を分析した。
 「絶対にまた甲子園に行けよ」。篤志は周囲にこう語っていた。寄せ書きに河内山大起(2年)は「絶対、甲子園に連れてってやるけぇの」と力強く書き込んだ。
 遠征と練習に明け暮れて臨んだ秋季大会。エース高橋貴洋(2年)、2番手の三上慎司(1年)は防御率2点以下の好投。勝ち進むたびに往年の粘りがよみがえり、たくましさを増した。中富は「以前の投手陣はピンチになると顔つきが変わったが、精神面で素晴らしく成長してくれた」と評価した。
 元日。ナインは松江八幡宮への初詣でで誓いを立てた。国本は絵馬に「春夏甲子園出場」と書いた。センバツ出場を決めた日はくしくも篤志の月命日。知治は墓参りの帰りに出場決定を知った。「あの子がセンバツを引き寄せてくれたのかも。本当にうれしい」と声を詰まらせた。
 亡き友との約束を果たした今、国本は次の目標を口にする。「篤志のお陰でチームは一つになれた。持ち前のミラクルで、まずは初戦を突破したい」(敬称略)=おわり
  ◇    ◇
 この連載は、大村健一が担当しました。

2月4日朝刊

ミラクルをもう一度:センバツ・宇部商 第1部/5 名将を継ぐ /山口

◇1年半で夢舞台へ
 「最後の一球まであきらめるな」。監督、中富力(41)は口酸っぱく言い続ける。最後の一球。この使い古された言葉を頻繁に持ち出すのには理由がある。82年夏の甲子園で、自らの捕逸がきっかけで逆転負けしたのだ。83年夏にはサヨナラ勝ちしており、一球の怖さは痛いほど体に染み込んでいる。
 中富は宇部商捕手として82年夏~83年夏、甲子園に3期連続出場した。3年時には主将としてチームを引っ張った。当時の監督は玉国光男(58)=現総監督。甲子園には出場するがなかなか勝てない。82年夏の逆転負けは実に悔しく、中富らは「監督に何としても1勝を」と奮い立った。臨んだ翌夏の甲子園では初戦で帝京(東京)と激突。1点を追う九回裏、自らのヒットに続く、サヨナラ本塁打に「ゲームセットまで本当に分からん」と中富。以来、甲子園での勝ち星は24にのぼる。
 法政大で商業科の教員免許を取得。05年4月、母校に赴任すると同時に、野球部の副部長に就任した。同年夏の甲子園準決勝の試合直後、玉国にチームの今後を託された。
 玉国は会社員との二足のわらじだった。教諭の中富は学内でも部員と過ごさねばならず「グラウンドでも校内でも厳しくすると選手に窮屈な思いをさせてしまう」と配慮する。
 練習では技術面よりも態度やマナーを重視する。捕手、原田直輝(2年)にとって印象に残る試合がある。
 昨年9月11日にあった強豪、戸畑(福岡)との練習試合。「配球のパターンを覚えてほしい」と中富に言われ、ベンチの指示通りエース高橋貴洋(2年)をリードした。すると面白いように決まる。結局、あの強力打線を難なく封じ込み8―1で大勝。原田は「怒られていた理由が体にたたき込まれ、信頼感が一層増した」と話す。
 関係者によると、中富は監督を引き受ける際、校長らにひそかにこう伝えたという。
 「5年やっても結果が出なければ監督は辞めます」
 わずか1年半でのセンバツ切符。でもこれで満足するわけにはいかない。「全国の強豪に勝つ難しさは痛いほど甲子園で学んだ。本当に大変なのはこれから」。遠くを見つめながら青春の記憶を重ね合わせた。(敬称略)=つづく

2月2日朝刊

ミラクルをもう一度:センバツ・宇部商 第1部/4 “母親” /山口

◇健康管理に目光らせ
 午後8時過ぎ。閉店したばかりのラーメン店「兄弟ラーメン」で、ひときわ大きな声が飛び交う。「おばさん、おかわり」。部員たちが次々に皿を差し出す。店主、福田常子(60)が笑顔で「野菜も食べて」「てんぷらもあるよ」と声をかける。鍋にいっぱいだったカレーはみるみるうちに無くなり底をついた。
 福田は南約500メートルの自宅に部員4人を下宿させており、いわば母親代わり。朝夜とも店内での食事だ。
 宇部、山陽小野田両市内の自宅から通う部員がほとんどだが、4人はいずれも県東部などの出身。早朝や放課後練習に集中できるよう1年前から福田方で間借りしている。
 「部員の下宿が見つからず困っている」。昨年1月、常連客の一人、コーチの藤井久夫(57)から相談を受けた。遠方の部員が長年利用していた下宿先が主人の病気で閉鎖せざるを得ないという。
 昼食の出前などでなじみの宇部商。かつて宇部鴻城高陸上部の生徒を預かったこともある。「それなら」と引き受けた。とはいえ、不安がなかったわけではない。建築業の夫、俊治(55)のほか、次男(21)も一緒に暮らしている。そこへ今時の若者が入り込み、寝泊まりする。
 しかし、それは杞憂(きゆう)だった。あいさつに訪れた4人は礼儀正しく、玄関では脱いだ靴をきちんとそろえる。ホッとするとともに野球部の強さの秘密を垣間見た気がした。
 以来、毎朝6時起き。早朝練習に空腹で行かせるわけにはいかないし栄養バランスも考えなければらない。栄養学の本を何冊も読破し、野球選手の息子を持つ客を見つけては食事メニューを聴いた。
 それだけではない。雨が降れば車で迎えに行くことも。野球に関心はなかったが、今ではグラウンドや試合会場に足しげく通い、声援を送る。「いつもは『おばさん、おばさん』としろしい(うるさい)が、グラウンドでは実にりりしい」と目を細める。
 次男が「我が子を送り迎えしたことなどないのに」とからかった。福田は言い返した。「(部員の)4人もかわいい息子じゃけ」。
 甲子園球場での“息子たち”の活躍が今から楽しみでならない。(敬称略)=つづく
2月1日朝刊
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