12月24日、萩城跡の近くにある旅館「萩一輪」に宿泊し、旅館で行われているイルミネーションツアーに参加した。最初に行った萩市役所前ではウインターイルミネーションと銘打って、市役所の庭にあるメタセコイヤの木と松の木が約5,000個の電球で装飾されていた。簡素ではあったが、大きな木のため見ごたえがあった。次にJR萩駅前に行った。そこでは萩イルミネフェスタ2007が行われていて、登録文化財「萩駅舎」前をイルミネーションでライトアップしていた。観ていて、楽しくなる演出だった。最後は城下町の中心地区、堀内。田中義一公銅像前のライトアップを見学。銅像向かいの香雪園では、萩城をイメージしたライトアップも行われていて、いかにも萩らしかった。約40分のツアーだったが、さすがに県内有数の観光地といった感じで、市内のいたるところで、街が飾られていた。
2007年12月
12月23日、防府支部訪問。聖餐会でクリスマスのメッセージとして、1961年の聖徒の道に掲載されていた、当時のデビッド・O・マッケイ大管長の「なつかしのベツレヘム」という話を引用させていただいた。以下はその内容である。
『今は人々の心がベツレヘムで起ったあの出来事へ向けられる季節である。まことに、ベツレヘムは聖書の歴史の中にある多くの大切な出来事が起った舞台であるが、ベツレヘムという名は、キリストがお生れになる千七百年以上前に(ヤコブの妻) ラケルが死んだことに関連して始めて聖書の中に出てくる。
またベツレヘムはボアズとナオミの住んでいたところであって、ルツに関するあの美しい物語はベツレヘムでめでたく結びを告げるのである。
キリストがお生れになる千百年ほど前にベツレヘムはダビデの家のあったところであると誌してあり、ダビデが羊を飼っているのを予言者(サムエル) が見つけて、この羊飼いの少年ダビデに油を注いで彼をユダヤとイスラエルの支配者にしたのはベツレヘムに於いてであった。・・・・・
ルカはキリスト誕生の物語りを非常に簡潔でしかも壮大な筆つきで記している。
「そのころ天下の人を戸籍につかすべきみことのりカイザル・アウグストより出づ。さて人みな戸籍につかんとて各々その故郷に帰る。ヨセブもダビデの家系また血統なれば、すでにはらめる許嫁の妻マリヤとともに、戸籍につかんとて、ガリラヤの町ナサレを出てユダヤに上り、ダビデの町ベツヘレムという所にいたりぬ。ここに居るほどにマリヤ月満ちて初子を生み、これを布につつみて馬ぶねに臥させたり。はたごやに居るところなかりし故なり。
この地に野宿して、夜群を守り居る羊飼ありしが、主の使そのかたわらに立ち、主の栄光そのまわりを照らしたれはいたくおそる。」(ルカによる福音書2:1、3-9)
旧約聖書ミカ書第五章の中で、ベツレヘムが約束された救世主のお生れになる所であると予言者ミカが言っている。私は、キリストがお生れになったという最初の啓示を与えられた羊飼いたちは、夜羊の群を守っていたとき、この予言を胸に抱いていたのてはないかと思っている。
「ベイツ、レーム」という名前は、「パン」もしくは「食料の庫」という意味をもっている。ずっと昔から、この地域はパレスチナで最も物産の豊かな地点の一つであると言われていた。現在われわれの持っている栽培された小麦の原種がベツレヘムの近くで発見されたことは注目に価する。今われわれが生命の糧にしているパンをつくる植物が生えているベツレヘムの地は、太古に生命のパン、すなわち、われわれの霊の生命を維持するパンも出したことを併せて考えたい。
私は今あなたがたに、キリストの教えたもうた真理は、キリスト御自身が親しく人々の中で語り給うた昔と変ることなく真理であることを証しする。イエス・キリストの精神こそクリスマスの中心でなけれはならない。イエス・キリストの教えこそ人間の生活の中心でなけれはならない。確かにイエス・キリストはわれわれの生命である。イエス・キリストは平和を地上にもたらしたもうた。ベツレヘムの嬰児の賜物が、このクリスマスの季節にあなたがたの身にそい、来るべき年にもその終りに至るまて変ることのないように祈り奉る。』
『今は人々の心がベツレヘムで起ったあの出来事へ向けられる季節である。まことに、ベツレヘムは聖書の歴史の中にある多くの大切な出来事が起った舞台であるが、ベツレヘムという名は、キリストがお生れになる千七百年以上前に(ヤコブの妻) ラケルが死んだことに関連して始めて聖書の中に出てくる。
またベツレヘムはボアズとナオミの住んでいたところであって、ルツに関するあの美しい物語はベツレヘムでめでたく結びを告げるのである。
キリストがお生れになる千百年ほど前にベツレヘムはダビデの家のあったところであると誌してあり、ダビデが羊を飼っているのを予言者(サムエル) が見つけて、この羊飼いの少年ダビデに油を注いで彼をユダヤとイスラエルの支配者にしたのはベツレヘムに於いてであった。・・・・・
ルカはキリスト誕生の物語りを非常に簡潔でしかも壮大な筆つきで記している。
「そのころ天下の人を戸籍につかすべきみことのりカイザル・アウグストより出づ。さて人みな戸籍につかんとて各々その故郷に帰る。ヨセブもダビデの家系また血統なれば、すでにはらめる許嫁の妻マリヤとともに、戸籍につかんとて、ガリラヤの町ナサレを出てユダヤに上り、ダビデの町ベツヘレムという所にいたりぬ。ここに居るほどにマリヤ月満ちて初子を生み、これを布につつみて馬ぶねに臥させたり。はたごやに居るところなかりし故なり。
この地に野宿して、夜群を守り居る羊飼ありしが、主の使そのかたわらに立ち、主の栄光そのまわりを照らしたれはいたくおそる。」(ルカによる福音書2:1、3-9)
旧約聖書ミカ書第五章の中で、ベツレヘムが約束された救世主のお生れになる所であると予言者ミカが言っている。私は、キリストがお生れになったという最初の啓示を与えられた羊飼いたちは、夜羊の群を守っていたとき、この予言を胸に抱いていたのてはないかと思っている。
「ベイツ、レーム」という名前は、「パン」もしくは「食料の庫」という意味をもっている。ずっと昔から、この地域はパレスチナで最も物産の豊かな地点の一つであると言われていた。現在われわれの持っている栽培された小麦の原種がベツレヘムの近くで発見されたことは注目に価する。今われわれが生命の糧にしているパンをつくる植物が生えているベツレヘムの地は、太古に生命のパン、すなわち、われわれの霊の生命を維持するパンも出したことを併せて考えたい。
私は今あなたがたに、キリストの教えたもうた真理は、キリスト御自身が親しく人々の中で語り給うた昔と変ることなく真理であることを証しする。イエス・キリストの精神こそクリスマスの中心でなけれはならない。イエス・キリストの教えこそ人間の生活の中心でなけれはならない。確かにイエス・キリストはわれわれの生命である。イエス・キリストは平和を地上にもたらしたもうた。ベツレヘムの嬰児の賜物が、このクリスマスの季節にあなたがたの身にそい、来るべき年にもその終りに至るまて変ることのないように祈り奉る。』
12月22日、壁の杉化粧板貼りがほぼ終わり、巾木、廻り縁、額縁等の取り付けを行っている。今回は、既製品を使わず、杉で全て作成した。現在1階の玄関、寝室、納戸、居間、トイレ、洗面所まで進んでいる。次々と仕上がっていっているが、手間のかかる仕事なので、結構時間がかかりそうである。
12月20日、時間がかかっていた玄関へのアプローチである、階段部分の枕木の取り付けがようやく終わった。ウッドデッキも、残っていた通路部分の床板の取り付けが終わり、ウッドデッキに上がるための階段を作成中。駐車場の土間に鉄筋を組み、コンクリートを打つための準備をしている。
12月19日、2階和室にある床の間にケヤキ無垢板で作られた床板を取り付け、現在床の間、押入れを作成中。床柱は、天然の杉絞り丸太を使用している。
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