日本でも古くから石畳はありました。
しかし、そのほとんどは神社・仏閣の参道に敷かれたものです。
現在でも一部の観光地(京都/奈良)を除いてその状況は変わりません。
平安時代、その石畳の模様が衣服の文様に使われていた事が
文献に載っています。
文献に載っています。
また、石畳の模様が家紋になったのが「石畳紋」です。
※江戸時代、歌舞伎役者の初代佐野川市松が紺と白の石畳紋を
袴に用いたことから市松模様という呼び名が付いたようです。
袴に用いたことから市松模様という呼び名が付いたようです。
江戸時代になり幕府は江戸に通じる街道を中心に
交通網の整備を進めましたが、
その内容は伝馬制度や街道での荷車運行の原則禁止など、
道路そのものの整備よりむしろ制度の方を優先しました。
交通網の整備を進めましたが、
その内容は伝馬制度や街道での荷車運行の原則禁止など、
道路そのものの整備よりむしろ制度の方を優先しました。
おそらく江戸の街を攻めづらくするという
戦略的な意図があったのではないでしょうか
戦略的な意図があったのではないでしょうか
東海道にはわずかの箇所ですが
当時の石畳が残っているところがあります。
当時の石畳が残っているところがあります。
箱根の坂道です。
さすがにぬかるんだ坂道は歩けなかったでしょう。
ちなみに江戸市中では、荷車の運行は許されていました。
そして、そのための舗装剤として
浅草砂(細かい砂利のようなもの)なるものが
使われていたらしいのです。
浅草砂(細かい砂利のようなもの)なるものが
使われていたらしいのです。
残念ながら石畳は一般的には敷かれていませんでした。
こうして、江戸時代の街道交通はあまりスムーズなものではなく、
物流はもっぱら海運に頼っていたようです
(1633年以降に発令された一連の鎖国令を監視する意味もあります)。
物流はもっぱら海運に頼っていたようです
(1633年以降に発令された一連の鎖国令を監視する意味もあります)。
(あるる)