9月23日、防府支部に出席し、いつもの通り神権会のレッスン、聖餐会の話の責任があった。聖餐会では、秋分の日にちなんで、「彼岸」について次のような話をした。
 『彼岸、正しくは「彼岸会」といい、春分・秋分の日をはさんで前後一週間、 先祖の供養をし、お墓参りをする行事です。 春分・秋分の日は昼夜の長さが同じになるので、仏教の説く「中道」の教えにかない、 太陽が真西に沈む時期なので、西方極楽浄土におられる阿弥陀仏を礼拝するといわれています。元々は煩悩を脱した悟りの境地のことで、煩悩や迷いに満ちたこの世をこちら側の岸「此岸」(しがん)と言うのに対して、向う側の岸という意味で「彼岸」といいます。 また今年は、まだ暑いですが、「暑さ寒さも彼岸まで」というように、 季節の変わり目にあたり昔から農耕の区切りとして祭りが行われていた時期であり、それが仏教と結びついて現在の年中行事として定着したのであろうともいわれています。 一般家庭では、お餅やお団子などを、お供えする風習があり、春は牡丹の季節なのでぼたもち(牡丹餅)と呼び、秋は萩の季節なのでおはぎ(お萩)と呼ぶようになりました。“彼岸”ということば自体は、仏の世界にいたることを意味し、その為に実践しなければならないとされている6つの徳目が、布施-物惜しみしない事、持戒-規律を守る事、忍辱-耐え忍ぶ事、精進-努力する事、禅定-心を静かに保つ事、智慧-よく考える事、であり、本来は先祖供養の為の日ではなく、仏の世界に行くことを願って、行いを慎む期間とされていました。この仏教でいう「彼岸」が、教会では「日の栄えの王国」と呼ばれています。教義と聖約76:50-70に日の栄えの王国について詳しく述べられています。また、1971年10月の総大会でキンボール使徒が次のような話をされました。使徒に召されて、肖像画を作るようになり、画家に選ばれたリチャーズ兄弟との会話です。
「キンボール兄弟、あなたは天国に行ったことがありますか。」私はちゅうちょせずこのように答えたのですが、それも同様に彼にとって大きなショックだったようである。「ああ行ったことがありますよ。リチャーズ兄弟, 私はこのアトリエに来る前にも天国の光景を見てきました。」彼は楽な形にすわり直して、 私を真剣に見つめたが、 目には明らかに驚きの色が見えた。私は続けて言った。「たった1時間ほど前です。通りの向こうの神殿の中でです。結び固めの部屋の白く塗った厚い壁、明かるく暖かなひだをとったカーテン、簡素でどっしりとした家具、 さながら人を無限に写し出すかのように向きあって掛けられた鏡、おだやかに輝く目の前の美しいステンドグラスの窓、そこは外界の物音がすべて遮断された世界でした。部屋にいた人は、みな白い衣に身を包んでいました。そこには平安と調和と心からの期待がありました。きちんと身つくろいをした青年とこの上なく愛らしく装った女性が、表現の域を越えるほどに美しいさまで祭壇をはさみ、ひざまずいていました。私は彼らを地上でも日の王国でも永遠に結婚させ、結び固める天の儀式を、正当な権能をもって執行しました。そこにいたのは心の清い人たちでした。天国はそこにありました。永遠の結婚式が挙行され、 出席者からお祝いの言葉を受けている時、 幸福にあふれた父親は喜びを満面にたたえて、手をさしだしながら言いました。『キンボール長老、 妻と私はごく平凡な人間で成功者ではありませんが、自分の家族には大きな誇りを持っています。』彼は続けました。『神殿結婚のためにこの神聖な宮に入るのは、8人目のこの子で最後です。みんな相手と一緒にこの末っ子の結婚式に来ているんです。きょうは私たちの特別うれしい日です。8人の子がみんな正しい結婚をしたんですから。みんな教会に熱心で主に忠実です。上の子たちは子供たちを立派に育てています。』
私は彼の節くれだった手と質素な外見を見つめながら、『これこそ、自分の使命を全うした神さまの本当の息子だ」と思いました。私は彼の手を握りながら、『成功でしょう?』と言いました。『それは私が今まで聞いたうちで最も偉大な成功です。貯えや銀行預金や土地や財産をたとえいかに持とうと、それだけでは失敗です。あなた方は自分の生活を正しく保ち、立派な子供たちを育て、信仰とみわざのうちに子供たちを訓練し、そのようにしてこの地上に送られた本来の目的を果たしていらっしゃるのです。』」私は話終わった。画家を見上げると、彼は身じろぎもせずに深く何かを思うようにただ立っていた。そこで私は続けて言った。「兄弟、天国の光景を私は幾度も見ていますよ。」』
 これらの話の最後に、娘のハワイライエ神殿での、娘の結婚式について証をさせてもらった。出席は19名だった。