2月9日、毎月第2土曜日の山口地方部の奉仕日で福岡神殿に行った。父が入院中で、急に帰ることになると迷惑がかかるので、夫婦だけで往復した。全体的に参入者が少なく、ゆっくりと奉仕をすることができた。今月からエンダウメントの儀式に少し変更があった。2時15分の英語で行われた儀式にも、参加できた。前回は、初めてでなかなか覚えられなかったが、2回目とあって英語での言葉も覚えられ、大分慣れてきた。
2月10日、宇部支部に出席。先週大会が開かれたので、今週が月に一度の断食日となった。今日の神権会のレッスンは、3章「イエスキリスト世の聖なる贖い主」旧約聖書の中で奉げるように言われた動物の犠牲について、「動物の血を流すことは人にとって何の益にもなりません。そのような行為に意義があったのは、それが、神御自身の賜物を通して奉げられる犠牲の模倣、予型、説き明かしとして行われたからです。罪の赦しのために奉げられる大いなる犠牲の力を、信仰の目をもって待ち望みながら行われたからこそ意義があったのです。」という言葉があった。農耕民族である日本では、犠牲として馬が使われていたが、農耕のため非常に大切な動物であったため、「埴輪」という形で奉納され、それがやがて「絵馬」という形に代わっていったということを聞いたことがある。初めは、イエスキリストが犠牲として奉げられる予型という目的をもって奉げられていた動物の血の犠牲が、長い年月の中でその本来の目的を失った結果としてこのような形になったのだと思う。最後にジョセフ・スミスの次のような言葉で、レッスンが締めくくられていた。「わたしたちの大いなる主は、御自身を犠牲とすることによって、わたしたちが主のもとに行く道を開いてくださいました。そのような主の聖さと完全さについて深く考えるとき、主が御自身を低くされたことにわたしたちの心は和んできます。また、主がその栄光をもってすべての聖なる天使とともに来られる時、わたしたちが心安らかに主とお会いする用意ができているように、主はあらゆる事柄において完全になるようにわたしたちに求めておられます。そのことについて考えるとき、わたしたちは兄弟たちに謙遜であってよく祈り、実際に光の子また昼の子として歩むよう、声を大にして進めたいと感じます。」