4月27日 宇部支部出席、地方部評議会
 宇部支部の聖餐会、日曜学校、神権会に出席した後、
 4時から地方部評議会があり、若い男性会長として、初めて参加した。

 地方部会長会からの指導の中で、
 十二使徒定員会ロバート・D・ヘイルズ長老の
 2005年10月の総大会の説教
 回復と再臨の備え「わたしの手はあなたのうえにある」
 の一部が引用された。

 『今年わたしたちは預言者ジョセフ・スミス生誕200年を祝っています。
 世界に向けて,ジョセフ・スミスがイエス・キリストの福音を
 回復するために予任された神の預言者であると証します。
 ジョセフ・スミスは救い主の指示の下にこれを行いました。
 救い主は先代の預言者にこう語っておられます。
 「わたしの名はエホバであり,わたしは初めから終わりを知っている。
 それゆえ,わたしの手はあなたのうえにある。」
 わたしは福音の回復に主の御手があったと認識しています。
 様々な時代に神の子供たちが霊感を受けて払った犠牲を通して,
 回復の基礎が敷かれました。
 そして今,世界はわたしたちの主であり救い主である
 イエス・キリストの再臨に備えています。
 主の福音はアダムの時代に地上で最初に確立され,
 それぞれの神権時代においてエノク,ノア,アブラハム,モーセ
 といった預言者を通して教えられました。
 これらの預言者は皆,イエス・キリストが
 世の罪を贖うために降誕されることを預言しました。
 この預言は成就しています。
 救い主は御自分の教会を設立され,使徒を召して,神権を確立されました。
 最も重要なのは,主が御自分の命をささげ,そして復活されたことです。
 すべての人が復活するためでした。
 こうして主は贖いの犠牲を成し遂げられました。…
 長い夜はついに明け,啓示が降り注ぎ,さらなる聖文が生まれました。
 1835年8月17日,教義と聖約を教会は受け入れました。
 高価な真珠のアブラハム書の翻訳がその年に始まりました。
 その後間もなく,主の御名において行動する権能がさらに与えられました。
 カートランド神殿が1836年3月27日に奉献されました。
 その神殿の中で救い主はジョセフ・スミスとオリバー・カウドリに御姿を現され,
 続いてモーセ,エライアス,エリヤが現れ,
 預言者にさらなる神権の鍵を授けました。
 この福音の光が再び地上から取り去られることはありません。
 1844年,ジョセフ・スミスはすべての神権の鍵をブリガム・ヤング,
 ジョン・テーラー,ウィルフォード・ウッドラフら使徒に授けました。
 預言者は言いました。
 「わたしは自分の肩の上に置かれた重荷が,
 ほかの人たちの肩の上に移るのを目にするまで生き長らえました。……
 王国の鍵は地上に根づき,もはや永久に取り去られることはありません。……
 わたしに何が起ころうともです。」
 悲しいことに,3か月後の6月27日,預言者ジョセフ・スミスと
 兄ハイラムはイリノイ州カーセージで殉教しました。
 預言者が殉教したときその場に居合わせたジョン・テーラー長老は,
 ジョセフについて証しています。
 「主の預言者であり聖見者であるジョセフ・スミスは,
 ただイエスは別として,この世に生を受けた他のいかなる人よりも,
 この世の人々の救いのために多くのことを成し遂げた。」
 預言者ジョセフ・スミスが行った働きは,救い主の御業であることを証します。
 主に仕える道を歩むのは,容易なことばかりではありません。
 犠牲を求められることが多くあります。
 逆境を経験することもあるでしょう。
 けれども主に仕えるときには,
 主の御手がまさにわたしたちのうえにあることに気づくでしょう。
 主の御手は,ウィクリフやティンダル,
 そして回復への道の備えとなったほかの数多くの人のうえにあり,
 預言者ジョセフ・スミスや,回復された福音をもたらすうえで
 先駆者の働きをしたすべての人のうえにありました。
 そして今わたしたちのうえにもあり,今後もあり続けるでしょう。
 主は前の時代の人々のように,
 わたしたちにも忠実で献身的で勇敢であるよう求めておられます。
 彼らは福音のために命をささげるよう召されました。
 わたしたちは同じ目的のために生きるように召されています。
 この末日に,わたしたちにはそのようにする特別な理由があります。
 ベツレヘムでのあの聖なる夜以前の歴史上の出来事や
 あらゆる神権時代の預言者の言葉は,
 主の降誕と贖罪への道を備えました。
 同様に,歴史や預言は預言者ジョセフ・スミスによる
 福音の回復の基礎を築きました。
 今日の出来事や預言が,主の再臨に自らを備えさせるものである
 という認識がわたしたちにはあるでしょうか。
 わたしたちの救い主イエス・キリストが
 生きておられることを,特別に証します。
 この世の創造以前から主の御手が回復の業のうえにあり,
 主の再臨まであることを証します。』