■マタイ25:1-13 10人のおとめのたとえは何を教えようとしているか

  「この10人のおとめのたとえの目的は,
  主の業に召された人々,主に従う人々,
  そして世の人々に対して,主が予告された
  地球の裁きの日に備えて常に注意を怠らず,
  準備をするよう銘記させることである。

  このたとえの中の花婿は主であり,
  全人類の救い主である。

  婚宴は救い主が御自身の教会を
  受け入れられた再臨のときを象徴している。

  おとめたちはキリストヘの信仰を
  公言している人々である。

  それは,彼女たちが婚宴の席に
  花婿が来るのを心持ちにしている人々か,
  もしくは教会と,あるいは主の再臨に関連して起こる
  様々な出来事とつながりを持つ人々だからである。

  このたとえは,特にキリストを信じる人々に対する
  警告として与えられたものであるが,
  主は近代の啓示の中でそのことをさらに
  明らかにしておられる。

  『これらのことは,あなたがたが待ち望まなければ
  ならないことである。

  ……これらのことは……将来,
  すなわち人の子らの来臨の日にある。

  そのときまで,賢いおとめたちの中に
  愚かなおとめがいるであろう。

  そしてそのときに,義人と悪人の
  完全な分離がある。』(教義と聖約63:53-54)

  すなわち,主イエス・キリストヘの信仰を
  公言する者たちの中で,
  悪人と義人がはっきり分けられることを
  意味しているのである。

  主はこの賢いおとめについて,
  ほかの啓示でも次のように説明された。

  『賢くて,真理を受け入れ,自分の導き手として
  聖なる御霊を受け,そして欺かれなかった者,
  すなわち,まことにわたしはあなたがたに言うが,
  彼らは切り倒されて火の中に投げ込まれることなく,
  その日に堪えるであろう。』(教義と聖約45:57)

  ここにわたしたちすべてが理解する必要のある
  真理が明確に示されている。

  それは,世の救い主を信じる神の民の中に,
  戒めを守る思慮の深い人々と,
  自らの義務に心を向けない,
  不従順で思慮の浅い人々がいるということである。」
  (ハロルド・B・リー,『大会報告』1951年10月)

  ■マタイ25:14-30 タラントのたとえの説明

  「兄弟たち,あなたがたは救い主の管理の職についての
  たとえの中で,主人が家を留守にする間に
  もうけるものとして,僕たちに幾タラントかずつ与えて,
  後でその報告を求めた話を知っている。

  これは今の時代のことを言ったものである。

  わたしたちの主は少しの間地球を離れておられるが,
  それが終わると,わたしたち一人一人に
  この世での生活について報告するように求められる。

  そのとき,5タラントを受けた者は
  それが10タラントになっていなければならない。

  そして,少しももうけなかった者は,
  忠実な者たちが尽きることのない栄誉を受けているときに,
  怠惰な僕として外に放り出されるのである。

  したがってわたしたちは,
  御子イエス・キリストを通して
  天の御父の慈悲を心から求めなければならない。

  誘惑のときにおじけたり,迫害のときに
  打ち負かされたりすることがないようにである。」
  (『預言者ジョセフ・スミスの教え』p.68)