1月30日 地域訓練集会「救助に向かう」

  今年度の地域訓練集会が宇部支部で
  「救助に向かう」というテーマで行われ、
  夫婦で出席してきました。

  教会から離れて行った人々、
  福音を知らない人々について
  「彼らを助け、救おうとする望みが
  会員の中に湧き起こらなけいかぎり
  彼らは殆ど確実に救われることはないのです。」
  という言葉が印象的でした。

  また、集会の中で大管長や使徒の話が
  いくつも引用されましたが
  モンソン大管長の1986年4月の総大会での
  説教「マイン・ブルーデル」という以下の話が
  心に残りました。

  『1951年のある寒い冬の夜に, ドアをノックする音がしました。

  そこにユタ州のオグデンから来たドイツ人の兄弟が立っていました。

  彼は自己紹介をしてこう言いまレた。

  「あなたがモンソン監督ですか。」

  私が「はい」と答えると, その人は泣き出して言いました。

  「私の兄弟が妻子を連れてドイツからやってきます。

  あなたのワード部の管轄区域に住むようになると思います。

  私と一緒に来て, 彼らのために借りたアパートを見ていただけませんか。」

  アパートに向かう途中で, 彼はその兄弟とはもう何年も会っていないことを
  私に告げました。

  しかしその兄弟は第二次世界大戦の最中も教会に忠実で,
  ロシア戦線に駆り出されるまで支部長を務めていたということでした。
 
  アパートを見ましたが, 寒々として暗い部屋でした。

  ペンキははげ, 壁紙は汚れ, 食器棚は空っぽでした。

  居間の天井には40ワットの裸電球が下がっていて,
  リノリューム製の床の真ん中にあいた大きな穴を照らし出しています。

  私は気が重くなりました。

  「多くの苦難をしのいで来る家族にとって何と寂しい歓迎だろうか。」

  そんな私の思いをふっ切るように, 彼が言いました。

  「これで十分とは言えませんが, それでもドイツにいるときよりはましです。」

  それから鍵を私に渡すと, 家族は3週間後,
  クリスマスの2日前にソルトレーク・シティーに着くと言いました。

  その晩, 私はよく眠れませんでした。

  翌朝の日曜日, ワード部福祉活動委員会で副監督のひとりがこう言いました。

  「監督, 顔色がすぐれないようですが, 何か心配事でもあるのですか。」

  私はその会に出席していた人に昨晩のことを告げ,
  何となく気乗りしないアパートのことを詳しく説明しました。

  しばらくの間, だれも何も言いませんでした。

  すると大祭司グループリーダーのアードリー兄弟が開ロー番こう言いました。

  「監督, そのアパートは薄暗く, 台所用品も取り換える必要があるのでしょう。」

  私はうなずきました。

  大祭司グループリーダ一は続けて言いました。

  「私は電気の請負いをしています。

  そこでワード部の大祭司たちにそのアパートの配線工事を
  任せていただけないでしょうか。

  それから業者に頼んで, 新しいコンロと冷蔵庫を入れてもらいましょう。

  監督, 許可してくださいますか。」

  私は喜んで, 「もちろんです」と答えました。

  続いて七十人の会長のバームフォース兄弟がこう言いました。

  「監督, ご存じのように私はカーペットの仕事をしています。

  業者に頼んでカーペットを入れてもらうように交渉してみましょう。

  また七十人の方々と協力してカーペットを敷き,
  古くなったリノリュームの床を直しておきますよ。」
 
  長老定貝会会長のボーデン兄弟が次に話し始めました。

  彼は塗装の請負いをしています。

  「塗装の方は私がしましょう。

  長老たちに手伝ってもらってペンキを塗り替え,
  新しい壁紙を張ってもいいでしょうか。j

  次は扶助協会会長のミラー姉妹です。

  「扶助協会の会員として食器棚を空のままにしておくわけにはいきませんわ。

  必要な食器類を集めてきてもよろしいでしょうか。」

  それからの3週間は忘れることのできない毎日でした。

  ワード部全体がひとつのプロジェクトに参加しているようでした。

  そうしているうちに日も過ぎ, 一家がドイツからやってくる日になりました。

  再び戸口にオグデンからの兄弟が立ち,
  震える声で自分の兄弟とその奥さん, そして子供たちを私に紹介しました。

  「それではアパートに行ってみましょうか。」

  アパートヘの階段を昇っていきながら, 彼は「これで十分とは言えませんが,
  それでもドイツにいるときよりはましです」と繰り返していました。

  彼はそのアパートにどのような変化が起こり,
  この計画に参加した大勢の人々が中で彼らの到着を待っていることなど
  まったく知るよしもありませんでした。

  ドアを開けたとき, そこには文字どおり新生活の場が映し出されたのです。

  彼らを出迎えたのは塗りたてのペンキの臭いと真新しい壁紙でした。

  40ワットの電球も使い古されたリノリュームの床もそこにはありません。

  私たちは厚く, そして美しいカーペットの上に足を進めました。

  台所には新品のコンロと冷蔵庫が置かれていました。

  食器棚は開いたままですが, どの棚にも食料品がいっぱい詰まっていました。

  扶助協会の姉妹たちが準備したのです。

  私たちは居間に入り, クリスマスの歌を歌い始めました。

  「聖しこの夜星はひかり… … 」

  私たちは英語で歌い, 彼らはドイツ語で歌いました。

  最後にそれらがみな自分たちのものだとわかった父親は,
  私の手を取って感謝の言葉を述べました。

  そして声を詰まらせ, 顔を私の肩に埋めて,
  「マイン・ブルーデル,マイン・ブルーデル, マイン・ブルーデル
  (私の兄弟よ)」と繰り返しました。

  アパートの階段を降り, 外に出ると,雪が降っていました。

  みんな何も言いませんでした。

  するとひとりの少女がこう言いました。

  「監督,私は今までにないよい気持ちを感じています。

  どうしてかしら。」

  私は救い主の言葉を借りて答えました。

  「わたしの兄弟であるこれらの最も小さい者のひとりにしたのは,
  すなわち, わたしにしたのである。」(マタイ25:40)

  そのとき私の心に, 讃美歌「ああ, ベツレヘムよ」の歌詞が浮かんできました。

  「主のたまものこそ奇しけれや静かに恵みの露はくだる

  罪のこの世にかかる恵み天より来べしと誰かは知る」(「讃美歌」210番)

  神の奇しき賜は, 静かにこの世にくだってきました。

  そして生活の中に恵みがもたらされ, 必要が満たされ, 心が癒され,
  人の身と霊が救われたのです。』