●アロハ・オエ
今から172年前の1838年9月2日、太平洋に浮かぶ小さな国の王家に
今から172年前の1838年9月2日、太平洋に浮かぶ小さな国の王家に
女の赤ん坊が生まれました。
彼女の名はリディア・リリウ・ロロク・ワラニア・ウェウェヒ・カマカエハ=ア=
カパアケアリディア・リリウオカラニ・パキ。
幼い頃から好奇心旺盛でお転婆な性格だった彼女は国中を巡り、
史蹟や雄大な自然を見て回るのが大好きだったようです。
9月2日は初代カメハメハ1世から数えて8代目、
のちに最後のハワイ国王となったリリウオカラニの誕生日です。
実は、リリウオカラニ女王在位中のハワイ王国と日本は
実は、リリウオカラニ女王在位中のハワイ王国と日本は
非常に密接な関係にありました。
サトウキビを輸出用資源と位置付け、大規模生産を行おうとする動きが
1835年より開始され、多くの白人投資家と海外資本が流入しました。
1835年より開始され、多くの白人投資家と海外資本が流入しました。
労働力を確保するため海外からの移民を積極的に受け入れた結果、
日本からも1868年の移民開始から1924年の排日移民法成立までで
約22万人がハワイへ移ったとされています。
1837年時点で約2トンだった生産量は1930年に100万トンとなり、
世界有数のサトウキビ生産国になりました。
世界有数のサトウキビ生産国になりました。
1902年にはサトウキビ畑労働者の70%が
日本人移民で占められていたそうです。
1891年にリリウオカラニがハワイ王国初の女王となった直後、
1891年にリリウオカラニがハワイ王国初の女王となった直後、
サトウキビ事業で成功した白人を中心に、
ハワイをアメリカへ併合しようという動きが活発化します。
数年にわたる動乱のあと、白人クーデター側に捕らえられた
約200人の命と引き換えに、リリウオカラニは女王廃位の署名に応じ、
ハワイ王国は滅亡しました。
日本はこの時、自国民の保護を名目に軍艦を派遣し、
このクーデターに不快感を示しています。
ハワイ王室と日本の間には太平洋を飛び越えた深い絆があったようです。
現在ハワイはアメリカの1州となり、
現在ハワイはアメリカの1州となり、
諸外国からの観光客で大いに賑わっています。
日本でもゴールデンウィークの家族旅行やハネムーンで
ハワイは人気の高い場所です。
船から飛行機に替わっても、憧れのハワイ航路は健在です。
ハワイと言えば「アロハ・オエ」のメロディが頭に浮かんできますが、
実はこれはリリウオカラニが
滅び行くハワイ王国を思いつつ作った歌とも言われています。
ハワイを訪れた際、かつて日本人が目にしたハワイ王国の名残を辿り、
先人の結びつきに想いを馳せながらアロハ・オエを
聴くのも良いのではないでしょうか。
(あるる)