3月27日 宇部支部 神権会 「愛はいつまでも絶えることがない」
 
  神権会では、モンソン大管長の
    2010年9月25日、中央扶助協会集会での説教、
  「愛はいつまでも絶えることがない」について、学びました。
 
  モンソン大管長は、この説教の中で、次のように話されました。
 
  『まずは,わたしが話したいことをうまく表現している短い話から始めましょう。
  リサとジョンという若い夫婦が新しい土地に引っ越して来ました。
  ある日の朝,朝食を取りながらリサが窓越しに外を見ると,
  隣の家の人が洗濯物を干していました。
  「あの洗濯物,汚れが落ちていないわ」とリサは大声で言いました。
  「隣の人は洗濯の仕方を知らないのね。」
  ジョンも外を見ましたが,何も言いませんでした。
  隣人が洗濯物を干す度に,リサは同じことを言いました。
  数週間後,リサは窓から外を見て驚きました。
  隣の庭に,すっきりときれいな洗濯物が干してあったからです。
  リサは夫に言いました。
  「ジョン,見て。隣の人もやっと,洗濯の仕方が分かったみたいよ。
  でも,どうして分かったのかしら。」
  ジョンは答えました。
  「実は,答えを知っているんだ。驚くかもしれないけど,
  今朝早起きしてぼくがうちの窓をふいたんだよ。」
  今晩は,わたしたちが互いをどう見ているかについて2 ,3 話します。
  掃除をしていない窓を通して人を見てはいないでしょうか。
  すべての事実を知っているわけではないのに人を裁いてはいませんか。
  人を見るとき,どこを見ていますか。どんな判断を下しているでしょうか。
 
  救い主は「人をさばくな」1 と言われました。
  そして,続けてこう言っておられます。
  「なぜ,兄弟の目にあるちりを見ながら,
  自分の目にある梁はりを認めないのか。」
  言い換えると,「なぜ,隣の家の洗濯物が汚いと言いながら,
  自分の家の窓が汚れていることを認めないのか」となります。
  完全な人はいません。
  自分は完璧だと豪語する人には会ったことがありません。
  それなのにどういうわけか,
  人はとかく自分の不完全さを棚に上げて他人の欠点を指摘したがります。
  他人のしていることやしていないことを裁いてしまうのです。
 
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  キリストの純粋な愛である慈愛は,独身ワードの若い姉妹たちが,
  自分たちの扶助協会の会員の母親の葬儀に出席するために
  一緒に何百マイルも移動するときに表れます。
  慈愛は,献身的な訪問教師が,興味を示さず多少批判的な姉妹を
  何年にもわたって毎月訪問する姿の中に示されます。
  夫を亡くした年配の女性が忘れ去られずに
  ワードの行事や扶助協会の活動に連れて来られるとき,
  そこに慈愛があります。
  扶助協会でぽつんと独りでいる姉妹に
  「一緒に座りましょう」と声をかけるときに慈愛が感じられます。
  幾つもの小さな方法で,皆さんのだれもが慈愛を示すことができるのです。
  完璧な人生を送っている人などいません。
  互いを裁かず批判せず,この人生を一緒に旅する人たちに
  キリストの純粋な愛を示そうではありませんか。
  だれでも自分に降りかかる問題に全力で取り組んでいるのです。
  そのことを認めて,助けるためにわたしたちにできる全力を尽くしましょう。
  慈愛は「最も気高く,尊く,しかも強い愛」 と定義されています。
  慈愛は「キリストの純粋な愛であって,……
  終わりの日にこの慈愛を持っていると認められる人は,幸い」 です。
  「愛はいつまでも絶えることがない。」
  長年にわたって引き継がれてきたこの扶助協会のモットーは永遠の真理です。』