4月3日 宇部支部出席 神権会 「そのかたは,ここにはおられない。よみがえられたのだ。」(ルカ24:5 - 6)
 
  いつものように宇部支部に
  夫婦で出席しました。
 
  神権会では、モンソン大管長の
  リアホナ4月号のメッセージ
  そのかたは,ここにはおられない。
  よみがえられたのだ。
  について、学びました。
 
  日本では、12月のクリスマスは
  クリスチャン以外の人まで、
  良く知られていますが、
  3~4月に行われるイースターについては
  殆ど知る人がいません。
 
   ガリラヤにおける救い主の務めの中心地であった湖岸の町カペナウムは,
  今日,廃墟だけが残っています。
  この地にあって,主は会堂で教えを説き,海辺で教え,家々で病人を癒されました。
  イエスはその務めを始めたころ,イザヤ書の次の言葉を読まれました。
  「主なる神の霊がわたしに臨んだ。これは主がわたしに油を注いで,
  貧しい者に福音を宣べ伝えることをゆだね,わたしをつかわして
  心のいためる者をいやし,捕われ人に放免を告げ,
  縛られている者に解放を告げ〔るためである。〕」(イザヤ61:1 。ルカ4:18も参照)
   神の息子,娘を救助するための神の計画についてはっきりと宣言されたのです。
   しかしイエスのガリラヤでの宣教は,ほんの序章にすぎませんでした。
  人の子は,ゴルゴタと呼ばれる丘に行かなければならないという
  恐ろしい定めを常に負っていました。
  最後の晩餐の後にゲツセマネの園で捕らえられ,弟子たちに見捨てられ,
  人々につばきを吐きかけられ,裁かれ,辱められ,
  イエスは御自分の大きな十字架を背負い,よろめきながら
  カルバリに向かわれました。
  勝利から裏切り,苦悶,そして十字架上の死へと進まれたのです。
  「聖なる都」( The Holy City)という歌には次のようにあります。
  情景は変わった。……肌を刺すような冷たい朝,
  寂しい丘に十字架の影が現れた。
   わたしたちのために,天の御父は御子を与えてくださいました。
  わたしたちのために,わたしたちの長兄は御自分の命をささげてくださいました。
  最後の瞬間に,主は後戻りすることもおできになったでしょう。
  でも,そうはされませんでした。主はすべてのもの,
  すなわち人類と地球とかつてそこに住んだすべての命を救うために,
  すべてのものの下に身を落とされました。
   クリスチャンが手にしている聖典の中で,涙を流すマグダラのマリヤと
  もう一人のマリヤに天使が告げた言葉ほど,
  わたしにとって大きな意味を持つ言葉はありません。
  主の亡骸の手入れをするために彼らが墓に近づいたとき,天使は次のように言いました。
  「あなたがたは,なぜ生きた方を死人の中にたずねているのか。
  そのかたは,ここにはおられない。よみがえられたのだ。」(ルカ24:5 - 6)
   この宣言とともに,かつて生を受け,死んでいった人,
  現在生きていて,いつの日か死んでいく人,
  そしてこれから生まれ,死んでいく人が救助されたのです。
   キリストが墓に対して勝利を得られた結果として,わたしたちは皆,復活します。
  これが贖いです。パウロは次のように記しています。
  「天に属するからだもあれば,地に属するからだもある。
  天に属するものの栄光は,地に属するものの栄光と違っている。
  日の栄光があり,月の栄光があり,星の栄光がある。
  また,この星とあの星との間に,栄光の差がある。
  死人の復活も,また同様である。」( 1 コリント15:40 - 42)
   わたしたちが求めているのは日の栄えの栄光です。
  わたしたちが望んでいるのは神の前に住むことです。
  わたしたちが望んでいる家族は永遠の家族です。
  終わりのない死からわたしたち一人一人を
  解放してくださった御方について証します。
 
   この御方は真理の教師ですが,教師以上の御方です。
  完全な人生の模範を示されましたが,模範者以上の御方です。
  偉大な医者ですが,医者以上の御方です。
  この御方は文字どおり,世の救い主,神の御子,平和の君,
  イスラエルの聖者,復活された主であられます。
 
   そしてこの御方は次のように宣言しておられます。
 
  「わたしは最初であり,最後である。わたしは生きている者であり,
  殺された者である。わたしは父に対するあなたがたの弁護者である。」
  (教義と聖約110:4)
   「ああ,喜びの言葉 『主は生けりと知る〔。〕』」このことを証します。