1月29日  宇部支部出席 聖餐会
 
  病院を退院して、
  日曜日に教会に集えるようになって3回目の聖餐会で、
  約半年ぶりに話の責任をいただきました。
 
  テーマは、「選択の自由」。
 
  その話の中で、リアホナ2月号に掲載されていた
  「神への信仰があるので、わたしは決して独りではない」
  という記事を引用しました。
 
  以下は、その記事の一部です。
 
  「イエス・キリストと天の御父を信じる信仰があれば,決して独りではない。」
  似たような言葉をわたしはこれまで何度も耳にしてきました。
  しかし,その意味を今ほど深く理解したことはありません。
  だれもが,最終的には,避けられない現実に直面することになります。
  それはいつの日か独りになるという現実です。
  自分はと言えば,離婚,子供の独立,早期退職といったことで,
  この日は予想していたよりも早く訪れました。
 
  わたしが克服しなければならなかった最も耐え難い障害は,
  何年にもわたって,家族,友人,伴侶,子供,
  そして職場の同僚との心地よい時間を過ごしたその後で,
  この突然襲ってくる静けさや虚しさを感じながら生活することでした。
  ホームティーチャーや訪問教師,友人とおしゃべりするのは楽しいのですが,
  それ以外はずっと独りぼっちでした。
  そして,独りぼっちは嫌でした。
  物音一つしない所にいると,思わず涙があふれてきました。
  ひざまずいて祈ることにしか慰めを見いだすことができませんでした。
 
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  現在,まだ結婚したいという気持ちはありますが,
  静かな生活も楽しめるようになりました。
  波の音を聞き,夕日を眺めます。文字どおり,
  立ち止まってバラのにおいをかぎます。
  御霊の導きに従って聞き,行動します。
  独りでいても怖くはありません。
  天の御父とイエス・キリストを信じているかぎり独りではないからです。
  何かをするときにはいつも天の御父とイエス・キリストの御霊を感じます。
  「イエス・キリストと天の御父を信じる信仰があれば,人は独りではない。」
   今,この言葉はわたしの心にとって新しく深い意味があります。
  何の疑いもなく,わたしは自分が決して独りではないことを知っています。
  わたしは御父の娘であり,御父はわたしを愛しておられるのです。