●さりげないギンギラギン

  1482年の2月21日、とある山荘の造営が京都の東山で始まりました。
 
  若干9歳で家督を継ぎ、15歳で将軍職に就くこととなった
  足利義政がこの山荘の主です。
  義政は美的感覚に優れており芸術家を多数召抱え、
  海外との貿易も奨励しました。
 
  室町文化の発展のみならず、侘び寂びに代表される所謂
  日本文化にも大きな影響を与えることとなったのです。
 
  将軍を辞した後、自らの美意識の全てを投影し、
  この山荘を作り上げました。
 
  義政の死後この山荘は寺院に改められ、
  今日も「慈照寺」の名で親しまれています。

  中でも観音殿は「銀閣」と称され、祖父義満の建てた
  鹿苑寺舎利殿「金閣」と共に京都を代表する建築物です。
 
  銀閣寺垣と呼ばれる背の高い竹垣の間を、
  50メートルほどの細い参道に沿って進むと、
  まるで自然に溶け込むかのように銀閣が姿を現します。
 
  1階は住宅風建築、2階は中国の寺院建築様式に倣った
  禅宗様の仏堂となっており、金閣のきらびやかな外観とは
  対照的に落ち着いた雰囲気をかもしています。

  また、銀閣の手前に広がる錦鏡池(きんきょうち)や、
  白砂の砂盛りである向月台(こうげつだい)、
  波紋を表現した銀沙灘(ぎんしゃだん)との対比も大変美しく、
  どの季節でも銀閣の黒漆がしっかり映える庭園造りがなされています。
 
  その名のとおり金色の金閣に対し、銀閣は銀色ではありません。
 
  銀閣の完成前に義政が亡くなった、
  応仁の乱後で室町幕府が財政難だった、
  などの理由で銀箔が貼れなかったと言う説や、
  元来銀箔を貼る予定はなかったという説などがあります。
 
  しかし、現在の銀閣を見る限り、銀色尽くしにならなくて良かった
  と思うのは私だけではないでしょう。

  その他にも、付書院・違い棚で有名な同仁斎や、
  当時から茶の湯に使用していたという湧き水を始め
  見所が盛りだくさんです。
 
  東側は山の斜面を取り入れ高低差もあるので、是非様々な場所から
  様々な角度で景色を楽しんでいただきたいと思います。
  「銀」閣だけに、斜めに一歩下がるだけで
  ガラっと景色が変わるかもしれません。
  2008年から2年間に及ぶ大規模な修復工事が行われ、
  現在の銀閣はまるで新築のような美しさです。
 
  500余年を経て尚輝き続ける銀閣に
  足を運ばれてみてはいかがでしょうか。
  (あるる)