●ジョンが認めた日本人

  山形県米沢市は上杉謙信、直江兼次、伊達政宗といった
  歴史上の偉人たちと縁のある地です。
 
  前述した3名の他、忘れてはならない偉人としてご紹介したいのが、
  上杉家10代当主上杉鷹山です。
 
  彼は宮崎県で生まれ、10歳で上杉家の養子となり、
  17歳で当主となりました。
 
  そして、困窮の真っ只中にあった米沢藩を建て直し、
  米国のジョン・F・ケネディが「最も尊敬する日本人政治家」
  とコメントした人物です。
 
  強い意志を持って国のために尽くした上杉鷹山は
  素晴らしい人物なのです。

  鷹山が藩主となった1760年代、
  米沢藩の財政は非常に厳しい状況だったため、
  鷹山は米沢藩に尽くすことを決意し、
  財政建て直しの改革を行います。
 
  まず、藩に根深く残っていた贅沢さと多大な支出を抑えるため、
  領民や家臣と共に自らも厳しく倹約に努める「大倹約令」を実行します。
 
  そして、農業の大切さを農民に伝えるため
  鷹山以下家臣一同が自ら鍬(すき)を取り、
  田畑を耕す「籍田の礼」を実施します。
 
  すると、藩主自ら行ったことに農民は感激し、
  これまで以上に田の開墾に勤しみ、
  武士たちも農業の大切さを知ることで
  田の開墾に進んで従事したようです。
 
  また、「興譲館(学問の場)」を創設し徳を身につけさせ、
  優秀な人材育成に力を注ぎました。
 
  そして、産業開発のため、養蚕、織物、陶磁器、和紙など、
  時には他藩から指導者を呼んで勉強させ、
  藩の特産品に仕立て上げます。

  こうして米沢藩は財政の建て直しに成功し、
  鷹山は徳川時代一代の名君と称されます。
 
  その功績から後にキリスト教思想家・文学者の内村鑑三によって、
  日本の文化や思想を欧米に紹介するために作られた
  英文書「代表的日本人」の中の一人に挙げられるのです。
 
  その書の中で紹介されたのは、
  日蓮、西郷隆盛、二宮尊徳、中江藤樹、
  そして上杉鷹山の5名です。
 
  それが欧米で評判となり、ケネディ元大統領の
  目に止まることになりました。

  鷹山は皆を牽引していくリーダーではなかったようですが、
  財政を建て直すために自らが行った行動は国を守り、
  民を守りました。
 
  今の日本の財政状態は非常に厳しいですが、
  鷹山が行った政策には今の日本を変えるヒントがあると思います。
 
  自らが節制することを国民に示す、
  優秀な人材を作るために教育に力を入れる、
  新たな技術、製品の開発をすることで世界にアピールするなど、
  共通する部分はあると思います。
  鷹山の名言の一つ
  「なせば為る 成さねば為らぬ 何事も」の精神を
  今こそ発揮するべきではないでしょうか。
 
  (あるる)