●6歳の帝
 
  1185年4月25日(寿永4年3月24日)、
  平知盛を総大将とする平氏と源義経率いる源氏が
  壇ノ浦(山口県下関市)を舞台に戦いました。
 
  かつて栄華を誇った平氏が源氏の台頭により次第にその力を失い、
  都を追われ西へ西へと逃げ延びた末の地です。
 
  貴族を中心とした国家体制はここに終わりを告げ、
  以後武家政権が続くこととなります。
 
  このとき若干6歳(数え年8歳)の安徳天皇も、
  戦いの中でその短い生涯を終えてしまうのでした。

  第80代高倉天皇と平清盛の娘徳子(後の建礼門院)との間に生まれた
  安徳天皇は1歳余りで即位します。
 
  まだ幼かったため、政治の実権は清盛が握っていました。
 
  その後、清盛が熱病で亡くなり源義仲が京に攻め入ると、
  平氏一門とともに都落ちします。
 
  一の谷、屋島の戦いなど西日本各地で抵抗を続けるも、
  源氏の包囲網により遂に壇ノ浦の海上に孤立してしまいました。

  奮戦する平氏でしたが、迫り来る源氏やそれに味方する各地の水軍に
  次々と討たれ、安徳天皇が乗る船にも源氏が乗り込んできました。
 
  安徳天皇は、最期を悟った祖母時子に抱き上げられると
  「どこへ連れて行こうとするのか」と問いかけたそうです。
 
  時子は涙をこらえつつ
  「君は天子としてお生まれになられたものの、
  悪縁に引かれ、御運は尽きてしまわれました。
  辛く嫌なこの世から極楽浄土にお連れ申すのです」と言い聞かせます。
 
  時子は泣きながらも素直に小さな手を合わせる安徳天皇を
  「波の下にも都がございますよ」と慰め、
  安徳天皇を抱いたまま壇ノ浦の急流に身を投じました。

  その後安徳天皇の亡骸は引き揚げられ、
  阿弥陀寺という寺院の境内に埋葬されました。
 
  この阿弥陀寺が現在の赤間神宮(下関市)です。
 
  竜宮造という独特の建築様式で安徳天皇を祀り、
  現在でも水と子どもを守護するとされ、
  水難除け、農業、漁業、海運、安産、子授けなどに
  ご利益があるとされています。
 
  境内には七盛塚(平家一門の墓)や芳一堂(耳なし芳一を祀るお堂)
  などもありますので、参拝で訪れた際はご覧いただければと思います。
 
  また、5月2~4日は「しものせき海峡まつり」が行われ、
  市内では安徳天皇や源平にまつわる催しが開かれますので、
  この機会に是非、足を運ばれてはいかがでしょうか。
 
  (あるる)