●交わったのち渉りあう

  環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)交渉、
  これまで功を奏してきた「アベノミクス」の正念場、
  試練になるとの声が聞かれます。
 
  国益確保のために「聖域」を設けるという日本の主張に対し、
  交渉参加国は日本市場の閉鎖性を批判しており、
  交渉が難航することは避けられないようです。
 
  先週、TPPに関する主要閣僚会議の初会合が開かれ、
  その結果、TPP政府対策本部は、交渉・調整のために
  100人体制を敷くと決めました。
 
  日本には経済力はあるが外交力、交渉力がないと
  言われて久しいですが、歴史を遡れば、
  それらの能力に長けた人材の輩出は少なくありません。
 
  ただ、その時期は幕末や戦後間もないころに集中しています。
 
  逆に言うと切羽詰った状況にならないと
  人材は出現しないということかもしれません。

  川路聖謨(かわじとしあきら)という人物をご存知でしょうか。
 
  1801年、豊後国(大分県)日田の下級役人の子として生まれ、
  3歳で江戸へ移住、
  12歳で下級幕臣の川路家の養子となり家督を相続、
  17歳で勘定所(幕府の役所)に取り立てられ、
  51歳には幕府の重職である勘定奉行にまで栄達します。
 
  ちょうどこの頃に黒船が来航し、川路はロシアとの交渉を命じられ、
  プチャーチンと日露和親条約を結んでいます。
 
  プチャーチンは「日本の川路という官僚は
  欧州でも珍しいほどのウィットと知性を備えた人物であった」
  と書き残しています。
 
  また、随員のイワン・ゴンチャロフは
  「川路を私たちはみな気に入っていた。
  (中略)
  川路は非常に聡明であった。
  彼は私たちを反駁する巧妙な弁論をもって知性を閃かせたものの、
  それでもこの人を尊敬しないわけにはゆかなかった。
  彼の一言一句、一瞥、それに物腰までが、
  すべて良識と、機知と、炯眼と練達を顕していた。
  明知はどこへ行っても同じである」と評しています。
 
  その後川路は、安政の大獄によって蟄居を命じられ左遷、
  不遇ののち、江戸城明け渡しの際に拳銃で自決しています。
 
 
  TPP政府対策本部は「首席交渉官」を任命するようです。
 
  その首席交渉官の方には、今より厳しい状況下で交渉し、
  交渉中は敵となるにもかかわらず、
  その敵から賞賛を受けた先達に学び、交渉できる
  (=尊敬の念を抱かざるをえない)
  日本人として活躍してもらいたいものです。
 
  (あるる)