●安土桃山のモザンビーク人

  人口約2300万人、アフリカ大陸の南東部に位置するモザンビーク共和国。
 
  近年では大規模な天然ガス資源が発見されたことから一躍注目されるようになりました。
 
  しかし、20年程前まで激しい内戦が繰り広げられていたことや、治安の悪さから、
  まだまだ援助関係者や企業以外ほとんど日本と関わりがない様に思われがちです。
 
  そんなモザンビークと日本の関係ですが、実は今から400年以上前に意外な繋がりがありました。

  かの有名な戦国武将・織田信長の家臣のひとりに黒人の青年がいた事をご存知でしょうか。
 
  『日本教会史』によると、彼はイタリア人宣教師ヴァリニャーノが来日し、
  信長に謁見した際に奴隷として引き連れてこられたモザンビーク人であると記されています。
 
  初めて黒人を見た信長は、肌に墨を塗っているのではないかとなかなか信用せず、
  着物を脱がせて体を洗わせたという話が残っています。
 
  本当に彼の肌が黒いことに納得した信長はこの青年に大いに関心を示し、
  ヴァリニャーノに交渉して譲ってもらい、「弥助」と名付け正式な武士の身分に取り立て、
  身近に置くことにしました。
 
  『松平家忠日記』には、「名は弥助、身の丈六尺二分(約182.4cm)、
  黒人男性、身は炭のごとく」とその容貌が詳細に記述されています。

  弥助が信長の家臣となって約一年後の本能寺の変の際には、弥助も本能寺に宿泊しており、
  明智光秀の襲撃に遭遇しました。弥助は森蘭丸らとともに信長を護って奮戦しました。
 
  そして信長より嫡男・信忠に事態を伝える命を受けて本能寺を脱出し、
  信忠の手勢と合流して二条御所に立てこもって戦い抜くも、
  最後は明智軍に捕らえられたといわれています。
 
  明智光秀は弥助が異国人であり黒人であることから「黒人奴隷は動物だから、
  何も分かっていないので殺す必要は無い」として処刑せず、
  弥助は南蛮寺(日本に建てられた教会)に送られたと言われていますが、
  以降の消息は不明となっています。

  さて、本能寺の変の際に信長はもう一つ、弥助に自らが自害した後
  その首を明智勢に奪われないように密かに運び出せ、
  という重要な任務を命じていたとも言われています。
 
  その説によれば、弥助は信長の命に従ってその首を故郷である岐阜へ運び、
  信長の首からデスマスクが作られた、とも。
 
  また、信長の遺体が発見されていないことからイエスズ会の手引きによって、
  生きて海外へ逃亡したという説もあります。
 
  今も尚、多くの謎に包まれた本能寺の変についての真実の鍵を、
  遠く離れた国の青年が握っているのです。
 
  はるか昔に、ある日本人とモザンビーク人との間に絆が築かれたように、
  現代の私たちの間にも築いていきたいですね。
 
  (あるる)