10月27日 日曜学校 39課 「子孫の心はその先祖に向かうであろう」
この日の、日曜学校のレッスンは、教義と聖約
39課 「子孫の心はその先祖に向かうであろう」でした。
家族歴史を調べる大切さについて、学びました。
以下の2つの話が、印象的でした。
ウッドラフ大管長は神殿会長時代に,
すでに亡くなっていた多くの「著名な人々」の訪れを受けた。
「死者の霊がわたしの周りに集まり,
なぜ自分たちを贖ってくれないのかを聞いてきました。
彼らの言葉はこうでした。
彼らの言葉はこうでした。
『あなたがたは長年にわたってエンダウメントハウスを使ってきたが,
わたしたちのためにはまだ何もなされていない。
わたしたちのためにはまだ何もなされていない。
わたしたちはあなたがたが今安らかに暮らしているこの国の基を築いた。
そして,……国に対して忠節を尽くし,神に対しても従順であった。』
彼らは〔アメリカ合衆国の〕独立宣言の起草者たちでした。
彼らは二日二晩わたしを待っていました。
……わたしは直ちにバプテスマフォントへ行き,マカリスター兄弟に頼んで,
独立宣言の起草者たちと,そのほかジョン・ウエスレー,コロンブス
ほか50人の著名な人々,合計100人の身代わりとして
わたしにバプテスマを施してもらいました。」
(The Discourses of WilfordWoodruff,G・ホーマー・ダラム選〔1946年〕160-161)
1884年5 月,ローガン第2 ワードのヘンリー・バラードビショップが
自宅で神殿推薦状のサインをしていたときのことである。
ヘンリーの9 歳になる娘が家の近くの歩道で友達と話していたところに
二人連れの老人が現れた。
二人は彼女に声をかけ,新聞を渡し,父親に見せるように言った。
娘はそのとおりにした。バラードビショップが見ると,
娘はそのとおりにした。バラードビショップが見ると,
それはイギリスで発行された『ニューベリー・ウィークリー・ニューズ』で、
そこにはバラード監督と父親の知人60人以上の名前が,
系譜付きで掲載されていた。
新聞の発刊日を見ると1884年5 月15日で,
印刷されてわずか3 日後に受け取ったことになる。
まだ飛行機はなく,郵便はイギリスからアメリカ西部まで
数週間を要する時代であり,これは奇跡であった。
翌日,バラード監督はその新聞を携えて神殿に行き,
翌日,バラード監督はその新聞を携えて神殿に行き,
神殿長のマリナー・W・メリルにいきさつを話した。
メリル神殿長はこう答えた。
「バラード兄弟,幕のかなたのだれかが早く儀式を施してもらいたくて,
あなたにこの新聞を渡せばすべてしてくれると考えたのでしょう。」
この新聞は現在,ユタ州ソルトレーク・シティーの教会歴史図書館に保管されている。