8月24日  日曜学校 旧約聖書32課 「わたしは知る,わたしをあがなう者は生きておられる」
 
  日曜学校では、旧約聖書ヨブ記から
  ヨブの受けた苦難と彼の信仰について学びました。
 
  以下は、この課のレッスンで一緒に読んだ
  指導者の言葉です。
 
  
  ジョセフ・B・ワースリン長老はかつて,メキシコ北西部の暑い砂漠に住む
  農夫たちについて語った。
 
  「農夫たちはいろいろな種類のとうもろこしや豆を育てています。
  それは丈夫で干ばつに強く,ほかの植物が枯れてしまうような
  厳しい気候の下でも生育するものです。
  その一つは白いんげんです。
  この豆は,わずかな雨量でも生長し,石地や砂地でも,
  必要な水分を求めて2メートル近く根を張ることがあります。
  年に1度しか雨が降らない,摂氏45度という
  砂漠の温度の中でも,花をつけ,実を結びます。
  ほとんど水分がない 灼熱 の気候の中でも,
  驚くほど青々とした葉が茂るのです。
  ・・・・・・
  教会員も,このような丈夫でたくましい植物の模範に従うとよいでしょう。
  わたしたちも,福音という土に深く根を張らなければなりません。
  そして,悪や誘惑,批判がはびこる中でも,生育して,花をつけ,
  良い実を豊かに結ばなければなりません。
  逆境の中でも,たくましく成長していかなくてはならないのです。」
  (「再生の種」『聖徒の道』1989年7月号,8)
 
  
  リチャード・G・スコット長老は,次のように述べている。
 
  「逆境に遭うと,たくさんの疑問がわいてきます。
  有益な疑問もあればそうでないものもあります。
  なぜわたしにこんなことが起こらなければならないのかとか,
  なぜ今こんなことに苦しまなければならないのかとか,
  一体わたしが何をしたというのだ,
  といった疑問は,皆さんを迷路に陥れるだけです。
  神の御心に反抗するような質問をしてみたところで
  何の解決にもなりません。
  そうではなく,わたしには今何ができるだろうか,
  この経験から何を学べばよいのだろうか,
  わたしはどう変わればよいのだろうか,
  だれを助けたらよいのだろうか,
  これまでの試練の中で受けてきたたくさんの祝福を
  どのようにして思い起こせばよいだろうか,と自問してください。」
  (「主を信頼する」『聖徒の道』1996年1月号,17)
 
  スペンサー・W・キンボール大管長は,次のように述べている。
 
  「もしわたしたちが自分の存在をこの世だけだと考えるならば,
  苦痛や悲しみ,失敗,また短い命などは災難となるであろう。
  しかし,人生を前世から終わりのない死後の世界まで
  永遠に続くものだと考えるならば,
  あらゆる出来事を正しくとらえることができるであろう。
  ……
  わたしたちは誘惑を受けることによって自分の力を試し,
  病を思うことによって忍耐を学び,死に直面することによって,
  不死不滅の体となり,栄光を受けるのではないだろうか。
  もしあらゆる病が祈ることによって 癒 され,あらゆる義人が守られ,
  あらゆる悪人が滅ぼされるとしたら,
  御父の計画はことごとくその効力を失い,
  福音の基本原則である選択の自由も存在しなくなるであろう。
  だれ一人として,信仰によって生きる必要がなくなるからである。」
  (『奇跡に先駆ける信仰』97)