●10代の若者は政治の変革者になれるのか(上)

  6月17日午前、国民が選挙に行ける年齢を18歳に引き下げる公職選挙法改正案が、
  参院本会議にて全会一致で可決・成立した。
  
  安全保障法制や労働者派遣法などの改正をめぐって大炎上中の今国会だが、
  これほど大きな改革が実現したことは、特筆に値する。
  
  国民が選挙権を与えられる範囲が広がったのは、実に戦後70年ぶりのことだ。
  この大改革を見据え、すでに若者の投票率向上運動などが盛んになっており、
  このこと自体は社会にとって非常に前向きなことだろう。

http://dol.ismcdn.jp/mwimgs/c/4/200/img_c4c9ebd99c64cb0bfb877effeed35b9323702.jpg中央大学では、来年夏に行われる参院選を見据え、大学内への投票箱の設置を目指す団体「Vote at Chuo!!」が活動している

  特に筆者が注目しているのは、大学構内に投票箱を設置しようという動きである。
  
  中央大学2年生の古野香織さん(19歳)は、
  来年夏に行われる参議院議員選挙を見据え、大学内への投票箱の設置を
  目指す団体「Vote at Chuo!!」の代表として活動している。

  古野さんは大学に入学した頃から、
  18歳選挙権引き下げのためのキャンペーンに参加し、
  若者の投票率が低いことに危機感を持っていた。
 
  「18歳選挙権が実現すれば、大学生全員が選挙権を持つことになります。
  自分の通っている大学で何かアクションを起こしたいと考え、
  この活動を始めました。いつも通っているキャンパス内に投票所があれば、
  投票率向上につながるはず」と語る。

  しかし一方で、民法で定める「成年」の年齢が20歳と定められたまま、
  選挙に行ける年齢だけを引き下げることに反対する人たちが多いのも事実だ。

  「飲酒、喫煙、契約なども10代から認めてもよいか」と問われれば、
  反対する人は多いだろう。

  「未成熟」な若者たちに投票権を与えることに、否定的な声も少なくない。

  そこで本稿では、今回の選挙権拡大改革の持つ意義について考察してみたい。

  そもそも、なぜ投票権は「20歳」からだったのだろうか?

  10代の若者が選挙へ行くことは、本質的に「良いこと」なのだろうか。

  言い換えれば、選挙に行ける年齢は、本当に引き下げるべきだったのか。

  それとも、もっと引き下げる方がよいのか。18歳は妥当なラインなのか。

  若者が選挙に行けない理由が「判断能力のなさ」だとするならば、
  大人だって判断能力があるか疑わしい人はたくさんいる。

  果たして、選挙という制度そのものが抱える限界とは何か。

  一方で、「若者の声」という綺麗な言葉ばかりが飛び交うものの、
  「若者の声」とはいったい何なのか。

  若者には何か特別な社会への要望があるのだろうか。

  まず、選挙権が「20歳」からになっていた理由に迫ろう。

  結論から言えば、20歳という数字にさほど高尚な意味はない。

  日本で選挙という制度が始まったのは、明治維新によって
  大日本帝国憲法が発布された後からである。

  当時は、一定額以上の税を納めている富裕層の
  25歳以上の男性のみしか投票できなかった。

  その頃の有権者数は本当に少なくて、人口の1~2%程度に過ぎず、
  冗談のような話だが、たった数票~数十票で当選してしまう
  衆議院議員がいたくらいなのだ。

  しかし、大正デモクラシーと呼ばれる民主化を求める運動の成果として、
  1925年に25歳以上の男性全てに選挙権が与えられた。

  たった90年前の出来事である。

  つい90年前まで、ほとんどの日本人は選挙へ行くこともできなかった。

  それが急にこの時点から、政治家は顔のわからない「大衆」に選ばれることとなった。

  有権者の数が爆発的に増えたわけだが、果たしてこれは「良いこと」だったのか。

  明治維新の志士たちと比較すると、「大衆」によって選ばれた国会議員たちの
  リーダーシップには、正直疑問がある。

  国会議員たちが議員であり続けるために地元を駆け回り、
  耳触りのよいキャッチコピーを叫び回るようになったのは、このときからだ。

  破滅的な戦争へ進む政府・軍部に対して、彼らが何ら抑止力を持たなかったことは、
  残念ながら歴史の事実である。

  さらに戦後、GHQの占領下で制定された日本国憲法下において、
  20歳以上の男女全てに選挙権が認められることとなった。

  女性が選挙に行けるようになって初の国政選挙である、
  1946年に実施された第22回衆議院議員選挙では、
  1人の有権者が2人または3人に投票できるというユニークな制度が採用された
  (すぐに廃止されたが)。

  このとき、初めての女性衆議院議員が39人誕生したが、
  69年の月日が流れた現在でも475人の衆議院議員のうち
  女性はたった45人しかおらず、大して変わっていない。

  このように、日本において「普通の人」が選挙に行けるようになった歴史は
  極めて短いし、「自分たちの手で勝ち取った」という意識が薄いのも頷ける話で、
  まだ試行錯誤の途中なのである。

  いわば、日本の民主主義は「Democracy」の輸入品でしかないため、
  25歳だの20歳だのと決められているのも、海外の事例を参考にして
  当時の平均余命などを基に、「えいや」で決めただけの話でしかないということだ。

  それが21世紀を迎えた今でも妥当かどうか、
  という本質的議論には誰も踏み込んでいない。

  金科玉条のように教えられる日本の民主主義は、
  実はまだまだ日本に根付いていない、不完全な代物なのである。

  ちなみに、義務教育修了時点で選挙権を付与せよ、というのが筆者の持論である。

  酒、たばこ、結婚、運転、それぞれが認められる年齢が異なることを
  批判する声もあるが、制限する根拠が違うのだから、問題ないと筆者は思う。

  義務教育とは、日本国民が有権者として最低限備えているべき
  知見・思考力を子どもたちに身につけさせることを、
  国家が義務として国民に課しているものだ。

  そこで言う「最低限備えているべき知見・思考力」とは、
  有権者として自立することに等しいはずで、
  義務教育を終えた国民は全て有権者として認められるのが自然なはずだ。

  政府も、若者へのいわゆる「主権者教育」に力を入れるとしている。

  また、年齢を基準にするのではなく、「学年」を基準にすることで、
  同じ日に一斉に選挙権を得られることによるメリットもある。

  管理コストを下げられるし、義務教育の最後や高校入学時に、
  民主主義や選挙について教えることができる。

  集団行動の中で教育を受けるのは高校で終わりなので、
  18歳で選挙権を得ることができても、一斉に教育を施すことが難しい。

  選挙は毎年あるわけでもないし、高校生で投票に行けるのはほんの一部となる。

  隣の席の子は選挙に行けるのに自分は行けない、なんて現象も生じるだろう。

  しかも18歳と言えば、高校最後の学年。

  大学への進学を考えている学生ならば、受験勉強に忙しい時期でもあり、
  選挙に関心を持ちにくいタイミングではないか。

  選挙権を若者に与えることに対する反対意見で最も強いのは、
  「10代ではまだ判断能力がない」という主張だが、
  今の大人の中にも判断能力が疑わしい人が数多くいるのは言うまでもないし、
  特に現役を引退した高齢者の中には判断能力が疑わしい方も
  正直少なくないというのが、実際に選挙に出馬した筆者の率直な感想だ。

  仕事にも「定年退職」があり、車の運転にも「もみじマーク」があるなら、
  選挙権だって制限されても許されるのではないか。 

  「判断能力」という測定が難しい基準ではなく、
  あくまで「年齢」という外形的基準で選挙権を付与するならば、
  義務教育を終えた段階で与えるのがよいというのが、筆者の考えである。

  保守的な方は、「未成熟な若者が選挙に来ると大混乱になる」
  と不安に思うかもしれない。しかし案ずるなかれ。

  今回の法改正のインパクトもそうだが、選挙権に行ける年齢を引き下げたところで、
  大して影響はないというのが現実だ。

  影響がないからこそ、大した議論もなく国会を通過したのだ。

  もし、選挙権を引き下げることで選挙の結果に大きな影響を与えるならば、
  まず自分の保身を第一に考える国会議員の先生方が、
  すんなりと許すわけがなかろう。

  まず、若者の人口は圧倒的に少ない。

  たとえば、日本に有権者は約1億人いるが、
  今回の法改正で増える有権者数は200万人強に過ぎない。

  つまり、18歳、19歳の若者の人口ボリュームは2%程度の影響でしかない。

  これを16歳まで引き下げたところで、4%程度でしかない。

  かつ、ただでさえ母数が少ないのに、投票に行く割合が圧倒的に低い。

  どの国の社会でも年齢と投票率は比例関係にあり、
  足もとにおける20代の投票率は、60代以上の半分以下である。

  このトレンドは今後も変わらないだろう。

  考えてみればこれは当たり前のことで、人生経験を経るうちに
  社会への意識が高まり、選挙へ行くようになるのは自然なことだ。

  筆者自身、理系の学部だったこともあり、
  学生時代には全く政治に関心を持っていなかった。

  まさか自分が政治ジャーナリストなどと名乗ってこんな記事を書いてるとは、
  液体窒素で超電導物質を冷却していた若かりし筆者が聞いたら、
  飛び上がって驚くに違いない。

  冒頭で紹介した中央大学の古野さん(19歳)も、
  「現在メンバーは19人だが、1年生は1人しかいない」と言う。

  若者にとって政治は縁遠いものだ。

  (ダイアモンドオンライン 政治ジャーナリスト・松井雅博)