●Ahoy - hoy(もしもし、聞こえますか?)
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   1890年の12月16日、東京と横浜で電話の営業が始まりました。

  当時の加入者は東京で155人、横浜で42人。

  電話交換手は、昼は女性7名、夜は男性2名でした。

  当時の電話番号は1は東京府庁で2は逓信省電務局。

  この時大隈重信が177だったのは比較的有名ですが、
  他に渋沢栄一が158、後藤象二郎が247等と番号が割り当てられていました。

  ちなみに、当時の電話料金は定額料金で東京が40円、横浜35円。

  1円あれば米が10kg買えたこの時代、今の値段にすれは15万円くらいでしょうか。

  庶民にはとても手が出せない代物だったということですね。

  一方、東京府内で電話の加入を申し込んでも、
  開線まで10年近く待たされる場合もあったそうです。

   そもそもの電話の始まりは1876年、
  アメリカの科学者アレクサンダー・グラハム・ベル、エリシャ・グレイ、
  そしてかの有名なエジソンの3名によって発明されました。

  早くもその翌77年には、日本は電話機二台を輸入し、
  工部省と宮内省で通話実験が行われていたそうです。
 
   と言いますのも、発明当時、ベルの電話実験に真っ先に飛びついたのが、
  当時アメリカへ留学中だった金子堅太郎でした
  (後の伊藤博文の側近、日本法律学校(現・日本大学)初代校長)。

  当時の日本が先進技術の導入に懸命であった現れともいえますが、
  世界には何千という言語がある中で、
  電話線を通った最初の外国語は日本語だったというのは、
  なんとなく面映く、しかし誇らしいものですね。
 
  日本に輸入された電話機は
  赤坂御所と青山御所の間に架設した電話線で結ばれ、
  明治天皇・皇后・皇太后の御三方が初めて通話されたそうです。

  当時はベル自身も日本に渡って来て、初の海外での通信実験を見ていたとか。

   ちなみにタイトルの「Ahoy-hoy」は海上で他の船に呼びかけるときの挨拶で、
  ベルが電話に出るときに好んで使った言葉だそうです。

  一般的に言うと「Hello」、日本でいう「モシモシ」ですね。

  日本のこの呼び声を考えたのは加藤木重教という人物です。

  電話導入時にアメリカに視察に行った彼が、
  アメリカで使用されている「Hello」に変わる日本語はないか?
  と考え出したものが、現在まで続いています。
 
  時代は変わり、今は携帯電話が中心となっていますが、
  今でも「もしもし(聞こえますか?)」は自然と口からこぼれますね。

  今となっては電話のない生活なんて考えられませんが、
  距離を理由に最近あまり話していない、そんな大切な方はいませんか?

  今日は電話という”距離を埋める”器機が生まれた奇跡に感謝して、
  懐かしい「その人」にコールしてみてはいかがでしょうか。

  (アルフィックス日報)