●あの時、この人 舛添 要一
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  東京都知事で良くも悪くも、ここまで注目された人物も少ないでしょう。

  もともと、国際政治学者といえば、舛添さんしか名前が出てこないくらい、
  国際政治学者として名をはせた人です。

  温厚というよりも、破天荒で型破りなイメージの強い人ですが、
  どうも体制批判をしつつ、実績を挙げていくタイプのようです。

  その一端は、東大の助手時代に現れています。

  蔵書資料や指導教官など研究環境の悪さに辟易して渡仏してしまいます。

  当時、助手の身分での公費留学は異例で始末書を書かされたそうです。

  その後、フランスでの実績を買われて東京大学教養学部助教授に就任します。

  そして、再び東京大学の体質を批判して退官して、独立します。

  このころから、冒頭にあるような国際政治学者=舛添さん
  というイメージが出来上がっていきます。

  2001年7月の参院選で自民党候補から出馬して158万票でトップ当選します。

  しかし、ここでも有言実行の人で、自民党が結党50年に発表した
  憲法草案の作成の取りまとめに大きく貢献します。

  2007年7月の参院選では、与党が苦戦する中、46万票でここでもトップ当選して、
  当時の安倍政権を批判しながらも、厚生労働大臣に就任して、
  その後の福田内閣、麻生内閣まで続投して、
  『消えた年金』という流行語大賞にまでなった問題を
  国民に知らしめたことは有名です。

  ただ、ここでも、自民党執行部への批判を堂々と口にして、自民党を離党します。

  2014年2月に東京都知事選に立候補し、東京都知事となって現在に至ります。

  都知事としては未だ、輝かしい実績は報道されていません。

  それどころか、かずかずの疑惑がワイドショーに取り沙汰されて、
  批判を一身に浴びている状況となっています。

  やっぱり、今までと同じく、体制批判をしない舛添さんは、
  真の力を発揮できないのでしょうか?

  しかしながら、過去の経歴からは、舛添さんはすごい人です。

  いままで、6ヶ国語も話せる都知事はいませんでした。

  まして、3回も結婚して、愛人の子供も認知するほどの
  バイタリティがある都知事です。

  何かを期待できるはずですが、
  マスコミに負けてしまってはいたし方ありません。

  今後は、政治資金規正法の改正に奮闘努力してもらいたいものです。

  (アルフィックス日報)