●あの時、この人 「三浦雄一郎」
====================================
  1932年10月12日、青森県青森市で生をうけます。

  幼少期は病弱だったそうです。

  農林省営林局勤めであった父親の都合で
  小学校5回、高校は4回の転校を繰り返しました。

  スキーとの出会いは、小学校2年生。

  当時の住居地であった弘前市の弘前城公園の坂を滑ったのが始まりです。

  その後、仙台にて本格的にスキーを始めます。

  青森県に移り、高校時代は青森県大会で実績を重ね、
  全日本スキー選手権大会の滑降部門で入賞を果たしました。

  大学は、スキーが出来るからという理由で
  北海道大学を受験し獣医学部に進学します。

  卒業後は北大農事試験場で獣医師として勤務していましたが、
  26才でスキー挑戦の為に辞職。

  全日本スキー選手権青森県予選で優勝するも、
  全日本選手権への青森県からの派遣人数で
  スキー連盟関係者と対立してしまいます。

  この事件でアマチュア資格剥奪、
  アマチュアスキー界永久追放となってしまいました。

  1962年、アメリカでスタートしたばかりの世界プロスキー選手権に参加、
  オリンピックメダリストも名前を連ねる中で世界ランク8位となります。

  1964年、イタリアで開催されたキロメーターランセに日本人として初参加し、
  時速172.084kmの当時世界新記録を樹立しました。

  1966年には富士山での直滑降を成功。

  1970年、エベレスト・サウスコル8000m地点からの滑降を成功させ、
  「エベレストを滑った男」のタイトルで映画化され、
  アカデミー賞記録映画部門で賞の獲得もします。

  1985年に南アメリカ大陸最高峰アコンカグアからの滑降を成功させ、
  世界7大大陸全峰からの滑降を果たしました。

  その後は目標を失ったのか、不摂生な生活になってしまいます。

  体重85kg、血圧は200近くまで上がり、
  不整脈まで出るようになってしまいました。

  しかし、65才で一念発起。

  70才でのエベレスト登頂を目標にトレーニングを開始。

  両足に重りを付け、20kgのリュックを背負い身体を作り直します。

  2003年5月22日、70才7ヶ月で世界最高峰登頂の世界最高齢記録を作りました。

  2008年5月26日には75才での記録更新、
  2013年5月23日80才で再度、記録更新をしています。

  今後も、できれば記録更新にもチャレンジしていただき、
  我々のヒーロー三浦雄一郎としてお元気で活躍していただきたいです。

  加齢による体力、気力の低下は、仕方のない事です。

  しかし、気の持ちよう一つで難峰にも登れるという良いお手本だと感じます。

  素人の我々は、あまり無理をしない程度にウォーキングから始めてみたいと思います。

  (アルフィックス日報)