70歳まで働くことが年金制度の健全な維持にもつながる理由(2)
そもそも現在の公的年金制度ができ上がったのは、
それほど大昔のことではない。
厚生年金については、起源は戦時中にさかのぼるものの、
現在の制度の基礎がほぼ固まったのは1954年だ。
一方、国民年金が始まったのは1961年であり、
これによって「国民皆年金制度」が実現した。
当時の平均寿命はどれぐらいであったかというと、
1960年時点においては男子が65.32歳、女子が70.19歳だ。
今よりも15?16年も短い。
現在の年金や定年の制度は、
この時期の状況をベースにして作られたものだから、
現在の状況に合わなくなってきているのは当然だと言えよう。
もちろん当時の定年は55歳が一般的だったし、
年金支給開始年齢は60歳だったので、
現在はそれよりも5年遅くなってはいるものの、
そもそも平均寿命が15年も長くなっているのだから、
当時の状況を基にして設計された年金や定年の制度は、
やはり見直すべき時期にきていると言ってもいいだろう。
この状況について「国が悪い」「世の中が悪い」と嘆いたり、
文句を言ったりする人は多いが、
それは社会全体の状況なのだから仕方がない。
文句を言ったところで、打ち出の小槌のように
どこからかお金が降ってくるわけではないからだ。
結局のところ、社会保障というのは社会全体での壮大な助け合いの制度だ。
働く人が増え、給料も上がり、応分な負担をすること、
それで足らなければ国庫から税を財源として拠出する
という仕組みでしか支えることはできない。
しかしながら公平性の観点から見ても、
税に過重な負担をかけるべきではないことは言うまでもない。
結局のところ、経済成長を促して、
多くの人が負担に耐え得るような所得向上の実現を目指すとともに、
保険料の負担や給付の仕組みを調整するしかないのだ。
数年前からようやく実行に移された「マクロ経済スライド」も、
年金のプライマリーバランスを健全化することにはそれなりの成果を挙げている。
多くの人は、「将来、年をとった時に必要なのはお金ではなく、購買力なのだ」
ということを誤解しているようだ。
いくら絶対額が保証されていても、物価が大幅に上がってしまったのでは意味がない。
「物を買う力=購買力」が維持されていることが大切なのだ。
だからこそ、将来いかに物価が上昇したとしても、
その時点での現役収入の何割が年金で賄われるかという「所得代替率」が重要なのだ。
人生100年時代と言われるが、単に掛け声だけではなく、
健康であれば誰もが70歳まで働けるようになることは
今後の社会の重要なテーマといえる。
筆者は政府が音頭をとって、
70歳までの雇用を義務化することには反対の立場だが、
再雇用のみならず、転職や起業といったように
より広い選択肢を持って働けるような環境を整備することは大切だ。
(ダイヤモンドオンライン 記事から)