気楽な独り言

(有)山野工務店を経営。 国産材を使い、職人の手作りにこだわった家造りをしています。 新築住宅やリフォームなどの事例をご紹介します。 また時々好きな旅行の記事や日々の出来事なども投稿していきます。

サッカー

ナデシコ

 ●ナデシコ

  女子サッカーW杯ドイツ大会で日本代表「なでしこジャパン」が悲願の
  初優勝を果たし、日本、そして世界に感動をもたらしてくれました。
 
  それを受けてミズノなど、なでしこジャパン関連株が買われるなど
  景気が刺激され、今後の経済効果は1兆円にものぼるといわれています。
 
  昨年行われたW杯南アフリカ大会は、関連収入だけで
  約80億ドル(約6320億円)にのぼったそうで、
  今回のなでしこジャパンの活躍が、景気刺激の一環となればと期待されています。

  そんな、なでしこジャパンの由来となった撫子は、6月~8月にかけて咲く花で、
  まさに今が旬の花です。
 
  ちなみに中国から平安時代に渡来した、唐撫子(からなでしこ)に対して、
  在来種を大和撫子(やまとなでしこ)と呼び、日本女性の美称によく使われます。
 
  撫子はその可憐な佇まいから「撫でるようにかわいい」ということで
  その名がつけられ、古くから貴族や歌人達に愛されていました。
 
  「万葉集」には多くの歌が残り、
  「枕草子」でも清少納言が撫子について触れています。

  その可憐な姿にばかり焦点が当てられ、いつしか「大和撫子」=
  「慎ましく、か弱く、優しい女性像」として出来上がってしまいました。
 
  戦時中、大和魂、大和民族、戦艦大和と、
  「大和」の名の下に戦意高揚を図ったことから
  「大和撫子」が広く使われるようになったという説もあり、
  この頃に前述したような「大和撫子」のイメージが
  定着してしまったのかもしれません。
 
  しかし、撫子の花は、可憐に見えて実は乾燥に強く逞しい花なのだそうです。
 
  「大和撫子」は見た目の儚げな美しさだけでなく、
  強い芯を持ち合わせ、いざという時にその強さを発揮できる力を
  持っている人を言うのではないでしょうか。

  撫子には「気高い、堂々とした」という花言葉があります。
 
  アメリカという世界トップの強敵を前に、
  なでしこジャパンの選手達が勝利を収めたのは、
  撫子のような強い芯があったからこそではないかと思います。
 
  選手達は「復興に立ち上がる人たちを見て力になった。
 
  その力で勝ち取れた優勝」と語っています。
 
  優しさと強さに溢れた撫子の力を、改めて気づかせてくれました。
 
  今の日本に、なでしこの色とりどりの可憐な強さは、
  無くてはならないものなのかもしれません。
 
  (あるる)

純金のトロフィー

 ●純金のトロフィー

  先日、世界を熱くさせた「FIFAワールドカップ」が閉幕しました。
 
  南アフリカ開催だったため、時差の関係で
  寝不足の日々を過ごした方も多いと思います。
 
  今回の開催は19回目ですが、
  1回目は1930年の今日(7月13日)、
  ウルグアイ大会から始まりました。
 
  主催者であるFIFA(国際サッカー連盟)は
  サッカー単独の世界選手権(後のワールドカップ)を
  開催することを目的として、1904年に創立しています。

  ちなみに、1930年から開催されることになった背景には、
  1932年に開催予定のロサンゼルスオリンピックで
  サッカーが競技種目から外されたことにあります。
  その後3回目のフランス大会まで順調に開催されましたが、
  翌年から第2次世界大戦が勃発し、
  12年間の空白の期間が訪れたのです。
 
  それを乗り越えて、1950年に開かれた
  4回目のブラジル大会では、
  第3代FIFA会長でワールドカップ開催に尽力した
  ジュール・リメの名前を記念し、
  『ジュール・リメ杯世界サッカー選手権』が
  大会の正式名称になりました。

  また、この大会から、
  今までワールドカップという呼び名だった純金のトロフィーにも
  『ジュール・リメ杯』と新しい名称が付けられています。
 
  そして、ワールドカップで3度優勝した国は
  そのトロフィーを永久保持出来ることが決められたのです。
 
  その権利を得たのは6・7・9回で優勝を手にしたブラジルです。
 
  しかし、ブラジルが手にしたジュール・リメ杯は盗まれてしまいました。
 
  後に犯人は捕まりましたが、トロフィーは換金目的に溶かし、
  金塊にしてしまったそうです。
 
  よって、10回目の西ドイツ大会から今大会まで使われている
  お馴染みのデザインのトロフィーには、
  永久保持権が無くなっています。
 
  さらに、前回(2006年)のドイツ大会からは、
  表彰式直後にFIFAによって回収・保管されることとなり、
  優勝国のサッカー協会にはレプリカが贈られます。

  ところで、2005年にデザインこそそのままですが、
  トロフィーに微妙な修正が加えられた事実は
  あまり知られていません。
 
  実は、今までアジア大陸と陸続きになっていた日本列島が、
  きちんと独立した島になるように直されているのです。
 
  日本が本大会に初めて出場したのが16回目(1998年)であり、
  17回目(2002年)は日韓同時開催したことなど、
  日本のサッカーが世界に認知されていることが伺えます。
 
  今回はベスト16までとなりましたが、
  既に各選手が4年後に照準を合わせています。
 
  この純金のトロフィーが日本にやってくる日を願ってやみません。
 
  (あるる)

いざ、決戦の地へ(南アフリカW杯の組み合わせ抽選会)

  いよいよ12月4日(日本時間では5日深夜)に来年6月に控えている
  南アフリカW杯の組み合わせ抽選会が同国ケープタウンで行われます。

  日本を含む出場32カ国から代表者が集結し、運命の抽選会となるわけです。

  世界204カ国で出場枠を争い、本選に出場できるのはたったの32カ国です。

  世界最大のスポーツの祭典、そして初のアフリカ大陸開催ということで、
  多くの注目が集まっています。

  さて、抽選と言えばくじ引きのことですが、
  歴史を遡ると古くから行われている方法です。

  平安時代に安徳天皇が平氏と共に西海にいってしまった後、
  後継天皇を誰にするか決着が付きませんでした。

  その際に後白河上皇の指示により3人の候補がくじ引きで決められました。

  また、室町時代には4代将軍足利義持が子の5代将軍義量に先立たれ、
  後継者が決まらないまま政務を執り続けました。

  そして、自身が危篤状態に至った際に側近の4名から次期将軍を
  くじ引きで選んだという記録が残っています。

  これらのように、何人かいる候補者の中で抜きん出て
  力がある者がいない時には仕方なく、くじ引きで決めたようです。

  また、近代でも重要なことはくじ引きを使ったとされています。

  例えば「明治」の元号を選ぶ時もいくつか候補があった中から
  明治天皇がくじ引きで選んだようです。

  そして、今日でもみられるおみくじにおいては戦国時代、
  本能寺の変で明智光秀が織田信長に謀反を起こす前日に
  愛宕山でおみくじを引いて勝運を占った話があります。

  冒頭でも書きましたが、今日は運命のW杯の抽選会です。

  4年前のドイツ大会では予選敗退という結果に終わった日本代表ですので、
  今回のW杯で日本が勝ち上がっていくためには大切な運試しとなります。

  岡田監督は世界のベスト4入りを掲げています。

  そのための最初の運試しを是非、成功させてもらいたいものです。

  (あるる)
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