●あの時、この人 瀬戸内寂聴
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  昨年12月に人生最後の長編小説である「いのち」を出版された瀬戸内寂聴氏。

  小説家であり、天台宗の尼僧でもある彼女はなぜ、
  小説を描き続けるのでしょうか。

  彼女の人生とともに振り返ってみようと思います。

  瀬戸内寂聴氏は、徳島県徳島市の仏壇店を営む三谷豊吉・コハルの
  次女として生まれ、身体が弱く、本を読むのが好きな子どもでした。

  瀬戸内姓になったのは、父親が従祖母である瀬戸内いとと養子縁組し、
  三谷から瀬戸内に改姓したためです。
 
  そして、東京女子大学在学中に見合い結婚し、
  翌年に女の子を出産しするものの、夫の教え子と不倫し、
  当時三歳の長女を残して駆け落ちします。

  そして、その後も妻子持ちの相手と再び不倫してしまうのです。
 
  そういった過去の不倫に対する罪滅ぼしの意識もあったせいか、
  51歳の時に岩手県の中尊寺で出家し、現在の名前になっています。

  そして、56歳の時に中尊寺の住職になり、2005年まで続けられました。

  その後は各地での講演会などを通じて、
  悩める人々に救いの手を差し伸べられており、
  特に犯罪者の方とも積極的に交流し、
  本人たちの相談に耳を傾けていたといいます。

  また複数の死刑囚とも文通などで交流をはかり、
  いかに死刑囚といえども人権があることを、
  身を持って世間に知らせてくれました。

  現在95歳になられる瀬戸内氏。7年前に脊椎を圧迫骨折し、
  寝たきり生活になりますが、2011年の東日本大震災の被災地の映像を見て、
 「これだけの大惨事が起きているのに寝てなんかいられない」
  と立ち上がったそうです。

  しかし、そんな無理がたたり、再び脊椎を圧迫骨折。
  そして、検査の中で胆のうがんが発見されます。

  発見されたのが92歳の時でしたので、
  医師から90を過ぎて手術をする人はいないと言われながらも
 「すぐ取って下さい」と手術を即決し、成功しました。

  この手術を決めた背景には、
  何も生産しないでただただ生きているという状態が許せなかったから。

  ただただ、生きるのであれば、生きていたってしょうがない
  という想いがあったからだそうです。

  ここに瀬戸内寂聴の生に対する考え方、
  なぜ小説という作品を書き続けるのかという答えがあるような気がします。

  瀬戸内寂聴氏の名言に
  死というものは必ずいつかみんなにやって来るもの
  でも、今をどのように生きていくか、何をしたいか、
  生きること本当に真剣になれば、
  死ぬことなんて怖くなくなるものですとあります。

  去を追わず、未来に願わない。

  今の一瞬一瞬に心をこめて真剣に生きていくという想いが伝わってきます。

  今この瞬間を精一杯生きていきたいものです。

  (アルフィックス日報)