気楽な独り言

(有)山野工務店を経営。 国産材を使い、職人の手作りにこだわった家造りをしています。 新築住宅やリフォームなどの事例をご紹介します。 また時々好きな旅行の記事や日々の出来事なども投稿していきます。

野球

無名捕手→甲子園8強投手へ。 鶴田克樹は「育成からでも這い上がる」

 ●無名捕手→甲子園8強投手へ。
  鶴田克樹は「育成からでも這い上がる」

 「君が高校3年生の夏、甲子園は100回大会を迎える。それを一緒に目指さないか」
 こう声をかけたとき、ひとりの中学生の見せた笑顔が、
 下関国際(山口)を率いる坂原秀尚(さかはら・ひでなお)の目に焼き付いている。
 3季連続出場となった今夏の甲子園で悲願の初勝利を上げ、
 8強進出を果たした下関国際。接戦の末、
 準々決勝で日大三(西東京)に敗れたものの、
 2回戦で創志学園(岡山)の2年生エース・西純矢を攻略するなど、

“快進撃”と呼ぶにふさわしい勝ち上がりを見せた。

  その中心にいたのが、エースの鶴田克樹(かつき)だった。
  甲子園では全4試合を投げ抜き、打っても4番として
  山口大会準決勝、決勝の2試合連続で本塁打を放った。

  甲子園で自己最速の147キロを計測したストレートだけでなく、
  打者の手元で鋭く変化するスライダー、
  ツーシームを操る完成度も持ち合わせ、
  来たるドラフトでの指名に期待がかかる。

  まさにチームの大黒柱と呼べるような活躍を見せた鶴田だが、
  中学時代は実績に乏しく、“無名”の存在だった。
  坂原が鶴田との出会いを回想する。

  「2015年の8月が終わりに差し掛かった頃、
 下関の硬式チームの練習を見に行ったんです。
 そのときに見かけたのが最初の出会いですね」
 当時、中学野球を引退して間もなかった鶴田は、
 住まいのある福岡県北九州市から程近い下関市で活動する
 硬式クラブチームの練習生として参加していた。

 しかし、坂原が注目していたのは鶴田ではなかったという。

  「鶴田と同じ中学で、一緒に練習に参加していた
  左投手を見ようと思って訪問したんです。
  でも、その子はすでに福岡の学校への進学が決まっていた。
  『残念だな』と思っていると、決してセンスがあるとは言えない、
  ドスドスとガニ股で走っている捕手がいて。それが鶴田でした」

  当時から170センチ後半の身長はあったものの、
  二塁送球ではヒジが下がり、サイドスローのような形で
  スローイングをしていた。
  加えて股関節は固く、「大げさに言えば“中腰”に近い格好で
  キャッチャーボックスに座っていましたね」と坂原が振り返る。

  来年度の部員獲得にあたり、当時の坂原にはある強い思いがあった。
 「この2015年、夏の山口大会で決勝まで勝ち進みながら
 甲子園に行くことができませんでした。
 だからこそ、100回大会の夏という大きな節目での
 甲子園出場を何とか達成したかった。
 それに向けて、野球の技術以上に
 『下関国際で100回大会の甲子園に出場する』という強い気持ち、

 “志”を共有できる選手をできるだけ多く探したいな、と」

  グラウンドで話すなかで垣間見えた鶴田の性格、
  「ウチの練習は厳しいと思う。それでも大丈夫か?」
  と聞いた際の反応を見て、冒頭の言葉で入学を打診した。

  「本人もまさか野球で高校に誘われるとは思っていなかったみたいで、
 すごく嬉しそうにニコッと笑っていたんです。
 その日のうちにご両親にも話してくれて、
 ウチに来てくれることになりました」
 こうして下関国際の門を叩いた鶴田だったが、

 入学当初は「将来のレギュラー候補」と呼べる選手ではなかった。

  本人が「入ってすぐは周囲に圧倒されていました」と語るように、
  1年秋までの県大会では出番なし。練習試合でも、
  レギュラークラスが揃うAチームには入れず、Bチーム暮らしが続いた。

  大きなターニングポイントとなる投手転向は、思わぬ形で訪れる。
  1年秋に行なわれた1年生大会でのことだった。

  「当時エース格で考えていたのが吉村
甲子園では左翼で出場)でしたが、
 1年生大会を臨むにあたって、投手が吉村ひとりでは苦しい。
 そこで鶴田を投げさせてみたんです。
 当時は中学時代の名残でサイドスロー気味のフォーム。
 しかも、フォームが固まっていないこともあって、
 投げる度に微妙に投げ方が変わる状態でした。
 それでもなんだかんだ四球は出さない。
 動き自体は決して器用とは言えませんでしたが、
 そこの繊細さ、器用さはあるのが印象的でしたね」
 この大会をきっかけに、本格的に投手として
 練習を重ねるようになり、2年夏に急成長を見せる。
 練習試合で“格上”と目される2チームを相手に、

 立て続けの好投を見せたのだ。

  さらに「入学時から強く振る力はあった」
  と坂原が語る打力を武器に、2年夏に一塁のレギュラーを奪取。
  これに関して坂原は
  「以前の自分だったら使っていなかったと思う」とも振り返る。

  「元来、ウチは守備と走塁のチームです。
  それもあって、以前は『打てるけど、守備に不安がある』
  選手をレギュラーで使うことはほとんどありませんでした。
  しかし、2015年夏の県大会決勝敗退を通じて、
  『打力のある選手を打線に置かないと甲子園には行けない』
  と痛感しました。
  そこで、本来は一塁の川上(顕寛)を三塁にコンバートして
  鶴田を一塁で使うことにしたんです」

  その目論見通り、準決勝では8回に1点差へと詰め寄る
 ソロ本塁打を放ち、逆転劇への口火を切った。
 投手としては「組み合わせが決まった時点で、
 先発させると決めていた」という準々決勝で、
 前年の優勝校である高川学園2安打完封。
 下関国際にとって創部史上初めての甲子園出場に大きく貢献した。
 この投打に渡るブレイクを通じて、

 「鶴田を軸に100回目の夏を目指す」と坂原の構想は固まった。

  2年秋の中国大会決勝でおかやま山陽(岡山)相手に
  最大9点差を追いつかれながらも、
  試合終盤まで鶴田にマウンドを任せたのも、
  エースとしての自覚を促すためだった。
 
  2季連続出場となった3年春のセンバツでは、
  直球が自己最速となる145キロを計測したものの、
  初戦で創成館(長崎)に13で敗退。
  夏の山口大会連覇、3季連続の甲子園がかかる勝負の夏に向けて、
  坂原は鶴田にある提案をした。

  「センバツが終わった後に『寮に入らないか』と提案しました。 
 秋の中国大会で負けた後からは週の何回かを寮で過ごしていましたが、
 より自覚を得る、練習に集中するために
 完全に入寮したほうがいいと思っていたんです」
 それまで鶴田は、北九州の実家から電車で通学していた。
 中国大会直後に入寮を薦めた際は、あまり乗り気ではなかったが、

 センバツ後は「わかりました。入寮させてください」と、即決した。

  そこからはより一層練習に打ち込む日々が始まる。
  坂原と話し合い、「大会直前にピークを迎えるのではなく、
  終盤、もっと言えば甲子園の決勝で
  最高のコンディションになるような調整をしよう」と方針を定め、
  4月からは早朝430分に寮を出発し、
  故障の影響で冬場に走り込めなかった主将の濱松晴天(そら)とともに、
  チーム全体での朝練前に走り込みを行なうことが日課となった。

  「走り終えたときに、自然と涙が出たこともある」と鶴田が語るように、
  6月の第2週まで続いた夏前の追い込みは過酷を極めたが、
  強く芽生えたエースの自覚が妥協を許さなかった。

  技術面では、センバツ後にツーシームを習得。
 夏の大会の過密な日程を考慮し、
 少ない球数で打者を打ち取る狙いがあった。 
 この新球習得に関しても、「鶴田が元来持つ性格が生きた」と坂原は語る。
 「例年、投手陣にツーシームを教えていますが、派手な変化をしない分、
 『本当に有効なのかな』と懐疑的な投手も多いんです。
 鶴田には『とりあえず取り組んでから考えてみよう』といった
 素直さ、柔軟性がありました。
 ツーシームを覚えるのも、その重要性に気づくのも早かった。
 また、球速が上がるにつれて、
 打者よりも球速を意識してしまう投手も少なくありませんが、
 彼は『投手の仕事はアウトを奪うこと』という意識が
 最後までブレなかった。
 センバツで145キロを出した後も、そこは全く変わらなかったですね」


  連投を見据えた体力の底上げと新球の習得。
  最後の夏を迎える準備は整いつつあったが、
  坂原のなかにひとつの不安があった。

  「酷暑ともいえる今年の夏を戦うなかで、
  『4番・投手』はキツイんじゃないか、と思ったんです。
  加えて、3年前の夏に県大会決勝で敗れたときにも、
  エースに4番を打たせていた経験も頭をよぎりました」

  負担を減らすために、8番への打順変更を検討した。
 実際に「8番・投手」で起用した練習試合で見事な投球を見せたことも、
 より坂原を悩ませた。
 鶴田本人に「夏は打順を下げようと考えているが、どう思うか」
 と尋ねると、強い口調でこう返答したという。
 「『ここまで4番でやってきたので、夏も貫きたいです』と返事がありました。
 それに耐えるだけの練習をしてきた自負もあったんだと思います。
 それと、私の表情から『本当は4番に置きたい』
 という気持ちを汲み取られたのかもしれませんね(苦笑)。

 打順を組む上では、当然4番鶴田がベストオーダーでしたから」

  山口大会では投打で遺憾なく実力を発揮し、
  3季連続の甲子園出場を手繰り寄せた。
  甲子園では全4試合を完投。
  山口県勢にとって13年ぶりとなる夏8強進出の原動力となった。

  日々積み重ねた鍛錬と、全国舞台で残した成績。
 「将来的に行けたら」と考えていたプロの世界に手が届くかもしれない……。
 そう思わせるには十分だった。
 大学進学が決まっていたが、甲子園終了後の進路相談のなかで、

 「プロ志望届を提出したい」という思いを坂原に打ち明けた。

  「夏を終えて、『可能性があるのなら、そこに懸けて指名を待ちたい』
  と強く思いました。
  監督さんから育成の環境、
  そこからチャンスを掴む難しさについての説明もいただきました。
  それを踏まえても、『下位、育成からでも這い上がってみせる』
  という気持ちが強くあります」

  こう力強く語る鶴田の姿には、ギリギリの部員数、
  雑草だらけのグラウンドで監督生活をスタートさせ、
  時に周囲から「絶対に無理だ」と笑われながらも、情熱を注ぎ、
  下関国際を有力校へと成長させた坂原に通ずる“熱さ”があった。

  自分の下を巣立つ“愛弟子”について、坂原は期待を込めてこう語る。

  「体型と雰囲気から剛腕と見られることも少なくありませんが、
  彼の最大の武器はきっちりピッチングができるところです。
  優れた指先の感覚が生む制球力があって、
  左右それぞれの打者を攻めきれる変化球を持っている。
  高校時代も格上の相手と対戦するなかで
  持っている能力を開花させたように、高いレベルで揉まれていくなかで、
  もっと能力が引き出されていく、成長できると思っています」

  「ピッチング、野球について何もわかっていなかった。
 本当にイチから教えていただきました」と振り返る
 “無名の捕手から、全国8強投手へと成長を遂げた。
  高3年間で手にした確かな自信と指揮官譲りの熱い思いを胸に、
 運命の「1025日」を待つ。

  (Web Sportiva 記事から
 

広島カープの組織論、なぜエースが抜けても3連覇できたのか

 ●広島カープの組織論、なぜエースが抜けても3連覇できたのか

  プロ野球セントラルリーグのクライマックスシリーズは
  いよいよファイナルステージを迎え、
  2年ぶりの日本シリーズ進出を狙う広島東洋カープが登場します。
  そんなカープは、2位のチームと圧倒的なゲーム差をつけて
  レギュラーシーズンで3連覇を果たしました。

  一方、2018年度のカープの年俸総額は12球団中6位で、
  1位の福岡ソフトバンクホークスの半分以下と決して高いわけではありません。
  一人ひとりの力を最大限に引き出すカープのチームづくりは、
  まさにこれからの組織マネジメントのヒントになります。
  人事戦略コンサルティングの第一人者・南和気氏が、
  人事が事業を支える企業を紹介していきます。
  今回は広島東洋カープを取り上げます。

FA補強を全くしないカープが
セントラルリーグ3連覇


  926日、プロ野球セントラルリーグは、広島東洋カープ
  (以下、カープ)が優勝し、見事3連覇を成し遂げました。
  しかも、4月下旬に首位に立ってから一度もその座を明け渡すことなく
  最後まで独走を続け、まさに圧倒的強さを見せつけています。
 
  今でこそカープは、カープ女子という言葉が生まれたように
  若い女性からも注目されるほどの人気球団となり、
  球場のチケット入手も困難なほどですが、
  もともと常勝軍団だったわけではありません。

  2016年シーズンの優勝は実に25年ぶりで、
  1年前の2015年シーズンは首位と6.5ゲーム差をつけられた
  4位に終わっていたチームでした。
  しかも、カープは伝統的にFA(フリーエージェント)制度による
  選手獲得には消極的で、FA制度が始まった93年以来、
  1人の選手も獲得していません
  (最も獲得しているのは読売ジャイアンツの24人)。
 
  さらに2015年のオフには、エースの前田健太投手がメジャーリーグに移籍、
  加えてチームの精神的な支柱とも言われた黒田博樹投手も
  同じく2016年オフに引退といったように、
  中心となる選手が次々とチームを離れていきました。
  そんななかでの3連覇なのです。

  いわば、「中途採用に消極的な歴史ある日本企業が、
  エース中のエースである営業本部長の退職、
  長らく精神的な象徴として支えてきた役員も定年退職を迎えたなか、
  25年ぶりにシェア1位を獲得し、それを3年連続維持するという
  快挙を成し遂げた状態」と言い換えられるでしょう。

「絶対的エースだけ」に頼っていては
勝てない時代がやってきた


  従来のプロ野球では、打者であれば4番打者、
  投手であれば先発のエース投手、
  さらに守護神と呼ばれるリリーフ投手を
  まずチームの柱としてつくりあげることで、
  チーム運営が安定すると考えられていました。
 
  しかし、4番打者だからといって、他の選手より多く打席に立つわけではありません。
  また先発のエース投手は、最近では1週間に1度程度しか登板しません。
  年間143試合、さらにポストシーズンの約10試合を戦うシーズンの
  長いプロ野球において、「中心選手だけに頼るチームづくり」には疑問が残ります。
 
  ここで、この3年間のカープの4番打者を見てみましょう。
  2016年は、中日ドラゴンズから獲得したルナ選手が開幕4番打者を務めますが、
  早々に怪我によって離脱し、前年、阪神タイガースを
  自由契約になって獲得した新井選手が代わりを務めました。
 
  2017年には開幕4番を新井選手が務めるものの、
  春先には若手の鈴木選手を抜擢して4番に据え、
  さらにシーズン後半は鈴木選手が怪我によって離脱したため
  ベテラン松山選手に代わっています。

  2018年こそ鈴木選手がようやく安定して務めるようになっていますが、
  レギュラーシーズンの勝利試合数は、
  2018年がこの3年間で最も少ないまま終わりました。
 
  つまり、カープは4番を打つ打者が怪我などでチームを離脱したからといって、
  すぐに同じレベルの選手が存在するわけではなく、
  代わりになる選手が入れ替わりながら、4番打者だけに頼らなくとも、
  チームとしての力を失わない攻撃のスタイルを確立していったのです。
 
  日本プロ野球は、今や世界を代表するレベルに達しています。
  スピード、パワーも年々上がっており、選手の怪我や故障も頻繁に発生します。
  また、データによる分析は高度に発達していて、
  徹底した研究が行われるため、かつてのように、ひときわ高い能力を持った
  スーパースターが長年活躍し続けることは難しくなっています。
 
  つまり、昔よりも外的な変化にさらされる環境になっている今、
  チームとして勝ち続けるためには、仮に主力選手が怪我をしたり、
  研究されて調子を落としたりしても、次々と新たな選手を輩出し、
  成績を落とさないチームづくりが求められているのです。

組織の3段階モデルによる発達

  企業においても、時代背景に合わせて、
  強さを発揮する組織の在り方が変化してきています。
  最も基本的な組織のモデルは、「ルール型組織」です。
  これは私たちが属している社会のようなものです。
  この社会には法律というルールが存在していて、そのルールの範囲内で、
  私たちはそれぞれ個々の目的に向かってバラバラに活動しています。
 
  この組織モデルは人に依存せず、ルールやマニュアルによって
  品質を維持しなければならない工場のラインやフランチャイズの店舗、
  法務部や経理部の一部の業務などにおいて効果を発揮します。
 
  ただし、このルール型組織では、
  ルールを外れた例外的な場面に対しては迅速に対応することが難しく、
  個人がいくら優秀でもルールの範疇でしか力を発揮できません。

  そこで次の段階として、集団はリーダーを求めるようになります。
  この組織モデルが、「リーダー型組織」です。
  従来のプロ野球で言う「エースを育成するチームづくり」ともいえます。
 
  目標を掲げ、大きな方向性、価値観を示すことができるリーダーがいれば、
  それほど細かなルールで縛らなくともチームはうまく回っていきます。
  また、リーダーの方針がはっきりしていれば、
  チームメンバーは組織が向かう方向性を理解できますし、
  大きな意思決定についてはリーダーに委ねればいいので、
  メンバー全員が必ずしも優秀でなくとも、
  チームとしての成果を短期間で効率的に上げられるようになります。

  実は、ビジネスの世界においても、ほとんどの企業が
  目指している組織力向上の形はこの形です。
  しかし、1つ問題があります。
  それは「リーダーが変わると全部変わってしまう」ことです。
  リーダーが変わるたび、すべて一からやり直しになるのは、効率が悪いうえに、
  組織としての戦略や活動の継続性も担保されません。
 
  例えば、プロ野球の監督は数年ごとに変わっていきますが、
  そのたびにチームの育成方針や選手獲得方針が変われば、
  選手は自分に求められる役割や、指導方針が変わってしまい、
  継続的にスキルを高めていくことができません。

  カープは監督が誰であろうと、「FA選手を獲得せずに育成する」
  というチームづくりの基本となるビジョンが変わりません。
  よって選手も将来を見据えて練習に打ち込むことができます。
 
  かつてはカープもリーダー型のチームづくりをしていた時代がありました。
  しかし、1999年に江藤選手、2002年に金本選手、2007年に新井選手と、
  当時の生え抜き4番打者が次々とFAでチームを離れるという、
  あまり例を見ない事態を経験。
  そこで、4番打者がチームを離れるたびに次の4番を育成するよりも、
  1人の4番打者に頼らなくてもチーム力が維持されるような
  チームづくりへと舵を切ったのではないでしょうか。
 
  特に、2015年からカープの指揮をとる緒方監督は、
  主力選手が怪我をするたびに若い選手を積極的に起用し、
  結果としてチームとしての選手層の厚さを実現しています。

リーダーシップを分散する
新たな組織モデル「パルテノン型」


  組織モデルの最終段階は、1人のリーダーだけが組織を牽引する形ではなく、
  組織内で複数人にリーダーの役割を与え、
  リーダーシップを分散するような組織モデルです。

  こうした組織の在り方を、「パルテノン型組織」と呼びます。
  ギリシャのパルテノン神殿が複数の柱に支えられるのと同じく、
  1つの目的に向かってメンバーそれぞれに権限移譲され、
  複数のリーダーが組織を支えるのです。
 
  例えば、カープにおいては、内野の守備を支える菊池選手、
  主にトップバッターとしてチーム最高の盗塁数を誇る田中選手、
  外野守備を支えながらチームで最も本塁打を放った丸選手、
  そして今期4番を務めた鈴木選手など、多くの選手が自らの役割や強みを理解し、
  そのなかでリーダーシップを発揮しています。
  誰が絶対的中心選手だというわけではありません。

  かつては、「勝つも負けるも4番の責任」
  というようなことが言われた時代もありました。
  しかし、1人の打者に攻撃を託すことで、
  相手チームの警戒やプレッシャーが集中し、
  好不調の波も大きくなります。

  カープはチーム内の役割と責任を分担することで、
  相手チームからの警戒や分析、
  また選手の好不調や怪我といったリスクを分散しているのです。
 
  パルテノン型組織において結果を出すためには、3つのポイントがあります。

  1つ目は、組織のなかの一人ひとりが「このミッションのために働いている」
  「組織の目指す方向性と自分の強みが重なっていて、
  組織で働くことに意味を感じている」といった、
  組織とのつながり、共通の価値観を持つことです。
  リーダーシップを分散するからといって組織の目標が変わるわけではないので、
  皆が別々の方向を向いていると組織としての結果は出ません。
  あくまで変化に対応しながら、組織の目標に向かって、
  人材の力を最大限に引き出すことが大切です。
 
  2つ目は、「この組織のなかで自分の役割は何か」
  「何を任されているのか」という意識づけを明確に行うことです。
  任された範囲においては、自分に決定権限があり、
  他のメンバーをリードしていくという自覚を持たせることで、
  組織内に複数のリーダーシップが生まれてきます。

  3つ目は、「判断に必要な情報や戦略が共有されていること」です。
  パルテノン型組織においても、管理職は必要です。
  ただし管理職は、チームメンバーの育成や、配置、人事的な業務、
  他の組織との調整などを担っている1つの役割として捉えます。

  プロ野球においても、監督は広い視野でチーム全体を見渡して
  戦力のバランスや戦略を考えます。
  しかし、いざゲームが始まれば監督が実際にプレーするわけではありません。
  また、一つひとつのプレーにおける瞬時の判断を、
  選手個人が自信を持って行えるかどうかは、
  選手全員が、勝つためのチームの戦略や相手チームのデータなど、
  正しい判断をするための情報を把握しているかどうかにかかっています。

  リーダー型の組織では、リーダーが重要な判断を行いますが、
  それはリーダーが圧倒的に情報を把握しているためです。
  リーダーシップを分散するには、情報を徹底的に共有することが重要です。
 
  企業において、確かにリーダーは必要な役割であり、育成は大切です。
  しかし優秀なリーダーであればあるほど、カープと同じく、
  他社に引き抜かれていく可能性も高まります。
  これからの「変化の時代」においては、リーダーの役割を再定義し、
  役割と責任を分担できる組織こそが、継続的に勝つ組織となります。
 
  そのためには、組織がどのような目的のために存在し、
  その目的を達成するために
  どのような戦い方をしていくのかというビジョンや戦略が、
  組織全体に浸透していることが組織の強さの源泉となるのです。
 
  (ダイヤモンドオンライン 記事から)
 

中国で「日本の高校野球」に熱中・感動する人続出の理由

 中国で「日本の高校野球」に熱中・感動する人続出の理由

  すっかり秋の気配が漂い涼しい日が増えてきたが、
  今年日本の夏はとにかく暑かった。
  日本の高校野球、平成最後の夏の甲子園大会はそれ以上に熱かった。

  その熱気は日本だけではない。海を隔てた中国でも、
  これまでになく熱い視線が日本の高校野球と甲子園に
  注がれていたのをご存じだろうか。
 
  中国では野球はポピュラーなスポーツではない。
  ごくわずかの学校に野球チームがあるぐらいだ。
  ほとんどの人は野球のルールさえ知らない。
  ゆえに普通は関心がないのだ。

  ところが、今年はまったく違っていた。
  甲子園関連の記事が幅広い層にSNSで拡散され、話題沸騰した。

  8月に筆者が中国へ出張で行った時にも、
  さまざまな会合や食事会の雑談時に
  「日本の甲子園はスゴイですね!見に行った?」、
  「吉田輝星君の今後の進退はどうなるの?」
  「青春はまさにこういうものだね」と言われたほどだ。
 
  今年の中国は年齢や性別、職業を問わず、
  日本の高校野球と甲子園に関心が高いことを体感した。

  それはなぜか。
  実はたくさんの写真を交えながら、
  「平成最後の甲子園 少年たちの青春ドラマ」というようなテーマで、
  日本の高校球児たちの活躍ぶりを紹介した記事が
  中国で拡散されたのだ。
 
  中でも抜群に注目を集めたのが、
  やはり日本で多くの人を熱狂させていた、
  金足農業高校の活躍である。

  「雑草軍団」と呼ばれた金足農業は、
  中国でも多くの人たちを感動させた。

  紹介記事の主な内容は以下の通りだ。
 
  チームには「怪物」と言われた吉田輝星投手がいること、
  金足農業高校は農業や畜産などを学ぶ農業の専門学校であり、
  「リンゴを盗んだ奴は停学、梨を盗んだ奴は退学、豚をいじめではいけない」
  などの校則があること(リンゴよりも梨の方が価値があるのが不思議らしい)、
  雪が積もる厳しい環境の中で長靴を履きながら
  チームメートを背負って練習していたこと、
  吉田投手の父親も金足農業の野球部OBであり、
  父の夢である甲子園出場を息子が実現したこと、
  ある選手が秋田県大会決勝の前日、ニワトリに
  「明日、がんばってくるからな」と話しかけたこと、
  
  全力で校歌を歌う時の「のけ反り」は当初は滑稽と見られたが
  徐々に日本人の涙を誘い最後は感動的ですらあったこと、
  強豪校である大阪桐蔭との決勝戦前には、
  大阪桐蔭を戦車、金足農業をトラクターに例えた
  「戦車vsトラクター」の画像がSNSで出回ったこと、
  秋田から大阪までの航空券は完売し臨時便まで出たこと、
  秋田県民がテレビの前に釘付けになり、
  農作業などの経済活動が停滞したこと……
 
  そして、決勝戦では敗れはしたものの、
  「決勝戦の後、秋田と甲子園の上空には同時に虹が現れ、
  ドラマチックで不思議な光景となった」など、
  さまざまなエピソードが非常に細かく紹介されていた
  (これらの記述の中には、日本の読者から見ると
  かなり真偽が疑わしい部分もあるかもしれないが)。
 
  中国でも多くの人がこのような記事を読んで、
  SNSで幅広い層に拡散され、数えきれないコメントが寄せられた。

  「野球はまったく知らないが、どうしてここまで感動したかわからない」
  「何度読んでも、涙が止まらない
  「日本がうらやましい!我々の子どもがかわいそうだ」

  「高校球児の98%がここで敗者になる、そしてもっと強くなる熱血極まりない!共感した!」
  「日本の高校生は命を懸けてスポーツをやっている。わが国では宿題に命がけ」
  「勝ち負けは関係ない、力を尽くしたから、これでいい!勇気をもらった!」
  「血が沸いた!熱血青春とは何か、日本が教えてくれた。ありがとう」
  「このような肉食男子を見るのが久しぶり、爽快だ」
  「このように青春を謳歌(おうか)できるのが、誠にうらやましい!」
  「儀式感があって、全国が一丸になって盛り上がりを味わいたい!」
  など、称賛の声があふれていた。

  日本の高校野球が中国でここまで反響を呼んだのには、
  いろいろな事情が背景にある。
 
  最近のある統計では、18歳以下人口の中で、肥満は12000万人いる。
  12歳から18歳の少年には1.9%が糖尿病を患っている。
  また、つい先日に起こったことだが、新学期を迎えた
  杭州の某小学校の運動会では、
  8時の開会式から1時間半後の9時半には、
  約20人の子どもが気を失って倒れ、病院に運ばれた。

  学校や社会全体に「学業重視、体育軽視」の風潮が強い。
  受験合格を勝ち取るために、多くの時間を宿題に費やし、
  親も学校の教師も成績だけに目を凝らす。
  数学や国語などの学習時間を優先し、体育の時間を削るのは当たり前。
  夏休みと冬休みでは、塾通い以外にも、「スタートラインで負けたくない」
  という親の思いで、いろいろな習い事で忙しい。
 
  筆者の友人の中学生の息子は、月曜日から土曜日まで、
  塾通い以外の習い事としてピアノ、水泳(水難事故防止のため)、
  絵、英語、囲碁などに時間を費やす。                                                                                                                             
  
  そして、一人っ子がほとんどであるため、
  1人の子どもに対して周りに6人(両親とその祖父母)の大人がいて面倒をみる。
  日ごろから「過保護」と言われても仕方がない状況だ。
  風邪を引いたら、すぐ病院へ行き、
  「1人跌倒6人扶(1人が転んだら、6人が体を起こしに行く)」という状況だ。
 
  食事はテーブルに食べ物がいっぱい並べられていて、
  まるで北京ダックのように食べさせられる。ゆえに肥満の子どもが多い。
  しかも、近年はスマートフォンの普及により、
  皆「低頭族(スマトフォンに没頭)」になっている。
  スマホによるゲームやチャットなどに集中し、長時間座りっぱなし。
  そして「宅男、佛系男子」などが流行語となっている。
  つまり「自宅に籠り、欲がない」、日本の草食男子に似ている。
  不健康で貧弱な男子が非常に増えているのだ。

  中国ではIT化が進み、さまざまなアプリが誕生し便利になっている。
  特にデリバリーが発達して、何日間も外出しなくてもまったく困ることなく、
  指1本でどんなものでも手に入る。
  特に食事のデリバリーは食べたいものが30分以内に届けられる。
  指を動かすだけで、身体は動かないのだ。

  現代の中国では、小学生は中学受験のため、
  中学生は高校受験のため、高校生は大学受験のために
  それぞれ次の段階に向かって、必死に準備しているという状況だ、
  ゆえに「今」を生きることができないのだ。
 
  社会現象ともいうべきこの現状を見て、大人が
  「今の子どもは大変だね、かわいそうに
  と言いながら、変えようとしない。
  というよりも、皆そうだから変えられないのだ。

  そして、近年中国の映画や、テレビに出てくる男子は、
  皆同じく色白で細くて女っぽい顔をしている。
  彼らが主役を務めることも多い。
 
  例えば、戦争を描く映画でも、
  原作の中の主人公は堂々たるたくましい男なのに、
  弱々しい俳優が演じている。

  芸能界がそうだから、世の中の男の子も追随してまねすることになる。
  そして女の子もこれが美であると思い、
  このような男子に夢中になって追いかけている。
 
  最近は、このような現象を批判する声も上がってきた。
  先般のワールドカップでは、
  SNSで女々しい中国の男子の写真と
  筋肉もりもりのサッカー選手の写真が並べられ比較された。

  ネットでは「中国の男よ、あなたの男らしさはどこに消えたのだ?」
  と叫ばれていた。
  「少年強則国強、少年弱則国弱」、
  清末民初の政治家梁啓超はこのような名言を残した。

  つまり、「少年が強ければ国も強い、少年が弱ければ国も弱い」。
 
  この言葉を最近の中国のメディアでよく目にする。
  「男の気概、風格、野性を取り戻そう!」と、
  ようやく社会全体がこの現象を意識しはじめ、
  呼びかけ始めたのである。
 
  中国では、全国地域連携の青少年のスポーツ競技があるが、
  国が大きいということもあって、
  そもそも日本のようにスポーツの試合をテレビやラジオで生中継し、
  全国民がこれに注目し楽しむことがない。

  いつか、わが国も日本のように、親も子も共にスポーツを楽しむ、
  お祭りのように盛り上がる日が来るだろうかと、多くの人が思っている。
  そうなるために、今年の日本の甲子園が起爆剤になるかもしれない。

  (ダイヤモンドオンライン 記事から)
 

あの時、この人 鍛冶舎 巧 

 ●あの時、この人 鍛冶舎 巧 
====================================

  熱戦が続きました全国高校野球選手権大会は、
  花咲徳栄高校が埼玉県勢初優勝で幕を閉じました。

  本日は、3年間の集大成としての勇退を地方大会前に決断され、
  この夏も熊本県代表として出場した秀岳館高校野球部監督の
  鍛冶舎(かじ しゃ)巧氏です。

  2014年に秀岳館高校の監督就任から瞬く間に
  全国屈指の強豪へ押し上げた鍛冶舎氏は、異色の経歴の持ち主です。

  高校野球の古豪・県立岐阜商業で甲子園出場。

  早稲田大学に進学し、強肩強打の外野手として活躍。

  社会人・パナソニック に入社後、阪神にドラフト指名されましたが、
  それを拒否して同社野球部監督に 就任すると、
  アマチュア野球日本代表のコーチも務められました。

  また大阪ボー イズリーグの名門『オール枚方ボーイズ』の監督を兼任して、
  チームを史上初の中学硬式野球5冠にも導いています。
 
  そんな鍛冶舎氏のこの3年間を、数々の名語録とともに紹介させて頂きます。

  「3年で日本一を目指す。長靴を買いなさい」。
  秀岳館高校の監督に就任した際の第一声です。

  「雨でも外で練習する。休みはなし」と付け加えましたが、
  毎週水曜日に完全休養日を設けるなど、計画的に選手を鍛えました。
 
  「黄色は足が速く見えるから」。
  監督就任と同時にアンダーソックスの色を以前までのグレーからイエローに変更。
  パナソニック勤務時にグローバルブランド担当をされていた視点です。
 
  「試合をすればするほど丸裸にされるのが高校野球。
  先のことを見据えた監督は、必ずそこで負ける。甲子園は甘くない」。
  NHK高校野球解説者として 「2000~3000試合は見た」と言う経験からの言葉です。
 
  「うちのチームにカラーはない。カラフルに。無理しても無茶はさせない」。
  先発完投型投手は作らず、複数の投手で戦うスタイルは、
  「野球人生はまだ長 い。故障させたらかわいそう」
  と教え子に対する温かい情を感じることが出来ます。
 
  「日常生活でミスが出ると野球でもミスが出る。
  素直さを失ったら成長は止まる。上に立つより役に立て」。
  整理、整頓、清潔、しつけ、清掃、スマイルの頭文字から
  野球部のモットーとして「6S」を掲げ、人間教育にも尽力されました。
 
  そして敗退が決まった日。
  「NHKの解説者をしていて自分もグラウンドに立ちたいと思うようになり、
  夢のような3年間でした。甲子園は、また帰ってきたい場所です」と
  コメントされています。

  夢の続きの高校は、どの都道府県でしょ うか。

  (アルフィックス日報)

崖っぷちから復活した村中恭兵と上本達之

  ●崖っぷちから復活した村中恭兵と上本達之

  こんな記事が載っていました。
  上本達之選手は、現在宇部出身の唯一の野球選手。
  少年野球常盤クラブで長男の1年先輩でした。
  まだまだ活躍してほしいと思っています。

ヤクルト・村中は背番号「43」で挑んだ今季
  プロ野球ではこの時期、引退試合を用意され、
  花道を飾る選手と戦力外通告を受け、球界を去る選手、
  そして来季の契約を勝ち取る選手、その3つに分かれる。

  かつてはチームに欠かせない存在だったとしても、
  一つのケガや不振、不調がきっかけで、
  数年後に戦力外を通告されることも珍しくない。

  むしろプロの世界ではそれが当たり前のことでもある。

  複数年契約を結んでいない限り、プロ野球選手は一年一年が勝負。

  その勝負の世界で、今季崖っぷちから復活を果たした2人を紹介したい。

  村中恭兵は2005年の高校生ドラフトでヤクルトに1巡目指名され、
  08年に6勝を挙げ頭角を現すと、10年と12年に2ケタ勝利をマーク。

  燕のローテーションには欠かせない存在となった。

  しかし13年途中に調子を崩し、5勝、防御率5.00に終わると、
  14年は腰や肩のケガに苦しみ僅か7試合の登板に終わる。

  そして昨年は、チームがリーグ優勝を飾る中、村中は腰痛などもあり、
  8年ぶりに一軍登板なくシーズンを終える。

  オフには背番号は「15」から「43」に、年俸も40%ダウンという屈辱を味わい、
  まさに正念場の一年を迎えたのだ。

  村中は、開幕直後に一軍に昇格すると、中継ぎとして見事に復活。

  貴重な左投げリリーバーとして52試合(うち先発2試合)に登板し、
  7勝3敗、防御率3.90、6ホールドを記録した。

  6月には、2年ぶりに先発登板を果たすと、
  広島の連勝を「11」で止める快投も見せ、
  来季以降、先発投手としての完全復活へ足掛かりもつかんだ。

上本は代打の切り札で復活
  西武の上本達之は捕手というポジションながらケガとはほぼ無縁だ。

  2010年に自己最多の91試合に出場したが、
  規定打席はもちろん年間100打席を超えたことも3度しかない。

  同じ捕手に侍ジャパンメンバーでもある炭谷銀仁朗、
  さらに期待の若武者・森友哉がいて、競争は激しい。

  ここ数年は出場機会が急激に減り、13年から15年の3年間は
  42、18、6と出場試合はついに1ケタにまで陥った。

  しかし今季は、オープン戦で11打数4安打と結果を残すと、
  4月を終えた時点で打率.375と打撃好調。

  代打での起用がメインながら、マスクをかぶる機会も少なくなかった。

  そんな状況下で、打率は自身初の3割超え(.307)。

  得点圏打率は.333と勝負強さも見せつけた。

  ケガや不振から脱却を果たし、左の中継ぎ、そして代打の切り札として、
  今やチームに欠かせない存在にまで再び上り詰めた2人。

  1年前の今頃は、プロ野球人生の岐路に立たされていたが、
  そんな崖っぷちの状況からの復活劇は見事だった。

  このオフも多くの選手が球界を去る。

  しかし生き残ることさえできれば、復活のチャンスは必ずやってくる。

  2016年、村中と上本はそれを体現してみせた。

  (ベースボールキング)
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